花忍本店

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ラブレター

草原に涼やかな風が吹き抜ける。

またあの夢だ。 

私は馬に乗り草原を歩いていた。

そこへ、前から馬を駆る一人の少年がやってきた。整った顔立ちに、柔らかくカールした黒髪が風に吹かれたなびく。すれ違いざま、バチッと目が合った。ドクリと心臓が跳ねる。

そこで、いつも目が覚める。

これは、昔本当にあったことだ。

小学生の頃、親に連れられて行った避暑地で出会った彼に、私は一瞬で心奪われた。

彼の名前も、どんな人なのかも知らなかった。けれど、間違いなく初恋だった。

そして、勢いでラブレターをしたため、厩務員さんに預けて帰ったのだ。

しばらくは彼との再会を夢見ていたが、名前も知らない人だ。彼の存在はやがて、甘い思い出として記憶の海に沈んでいった。

 

そして時が経ち今。私は大学4年生になり、服飾の勉強をしていた。来年からの就職先も決まりあとは少しの単位と卒業制作を残すのみとなっていた。

そんな中、私は誕生日を迎えた。

私の学科では学生主催で誕生日会を開く慣習があり、私も例に漏れず誕生日会を開いてもらう事になっていた。今日は気合い入れてメイクしないとな。私は顔を洗って準備をすべくベッドから起き上がった。

 

雅ちゃんお誕生日おめでと〜!」

パンッとクラッカーの弾ける音。集まってくれた皆が口々におめでとう、と言ってくれる。

「ありがとう!」

私は皆を見渡すと笑顔で応えた。

「いやぁ、みやちゃん先輩のお誕生会できるの、今年で最後かーって思うと寂しいですよぉ」

ひとつ下の後輩であるまなちゃんが泣き真似をしながら駆け寄ってきた。

「卒業してもお祝いするからねぇ」

同学年の親友、聖ちゃんはニコニコしながらお菓子を食べている。

この二人は学内でも特に仲のいい友人で、この誕生日会を主催してくれたメンバーでもある。

「二人とも今日はありがとね。すごく嬉しい」

「大好きなみやちゃんのためだもん〜。喜んでもらえて良かったぁ」

聖ちゃんが満面の笑みを浮かべる。それを見て私も心が温かくなった。

「あ、みやちゃん先輩〜、幸さん達も後で来てくれるらしいですよ!」

まなちゃんがニヤニヤしながら話しかけてきた。

それを聞いて、心臓がドクッと跳ねる。

幸さんとは、去年卒業した私の先輩で、在学中は私のことをたいへん可愛がってくれていた。そして私はそんな幸さんに、淡い恋心を抱いていた。だって、幸さんというのは女性ながら王子様のような振る舞いをする美しい人で、私をまるで子猫ちゃんのように扱う、なんというかもう……存在がズルい人なのだ。惚れるなという方が難しい。

そして聖ちゃんもまなちゃんも、私が彼女にホの字だということは気づいている。

「良かったねぇみやちゃん」

「今年こそいったれですよ!」

「いやいや無理だよまなちゃん……だって幸さんには……」 

「わかんないでしょお!?ま、とにかく幸さん達が来るまでお誕生会楽しんでくださいね!」

聖ちゃんとまなちゃんはそう言うと集まってくれた人たちに声を掛けに行ってしまった。

 

その後、集まってくれた皆が次々と話しかけに来てくれた。

「雅先輩〜!誕生日おめでとうございまっす!」

中学の後輩、大河くんが大きな袋を持ってやって来た。

「やー、雅先輩の誕生日会が今年で最後なんてやってらんねっすよ〜」

彼は地下アイドルをやっておりそこそこ人気らしい。

だが、

「あ、これプレゼントっす。見て〜、中学のジャージ完全再現したんすよ〜。素材にもこだわって作りました!部屋着にしてください!」

ちょっと変わった奴である。

「ありがと……いや、本物じゃん。名前の刺繍まで入ってるじゃん。うちの実家から盗んできた?」

「そうそう、夜中にこっそりね……ってちょっとぉ!?俺が作ったんすよ!もー雅先輩ってばぁ」

「あはは、ごめんごめん。すごいクオリティ高いよ。ありがとう」

「いやいや、笑ってもらえて良かったっす!じゃ、俺飯食わしてもらうんで!」

大河くんは颯爽と去っていった。

 

「田川、誕生日おめでとう」

次に話しかけてきたのは小学校からの同級生、佐々木くんだった。

「あ、佐々木くん。来てくれてありがとう」

「こっちこそ、毎年呼んでくれてありがとう。これ、誕生日プレゼント」

中身は可愛らしいお花型の入浴剤の詰め合わせだった。

「あ、可愛い……さすが、お姉ちゃん3人いるだけあって、女心分かってるね」

「まぁね、鍛えられてるから」

佐々木くんはそう言って苦笑した。

「にしても、田川はすごいよ。1年の時から賞取ってるし、きっと卒業生代表にも選ばれるんじゃないかな」

「そんな……でも、頑張ってきたことが認められて本当に嬉しい」

「そういうとこ、本当にカッコいいよな〜。憧れるよ」

「やだ、照れるじゃん……でもありがと」

「じゃあ、俺そろそろ行くね。この後も楽しんでな」

「うん、ありがとう〜」

 

誕生日会が始まって1時間程経った頃。待ちに待った人がやってきた。

「雅、遅くなってごめんね。誕生日おめでとう」

不意に後ろから声を掛けられる。そこにいたのは、

「……!幸さん!来てくれたんですね、ありがとうございます!」

憧れの先輩、幸さん……と、そのお友達の和さんだった。

幸さんは緑のメッシュが入ったショートヘアで整ったお顔を彩っている。キュッと引き締まったウエストをこれでもかと見せつけるヘソ出しTシャツに、長い脚を存分に生かしたパンツスタイルが良く似合っている。思わず見惚れてしまいそうだ。

そしてお隣の和さんもまた眼を瞠るような美人で、長い黒髪がとても艷やかだ。

雅ちゃん、おたおめ」

「和さんもわざわざありがとうございます」

「雅ももう4年かぁ。もう就職決まってるんだってね」

「はい、デザイン事務所に内定をいただいてます」

「うんうん、偉いぞぉ雅」

幸さんが私の頭をわしゃわしゃと撫でる。幸さんに触れられたことが嬉しくて、顔が火照りそうになる。

「あ、これ僕たちからのプレゼント。良かったら使って」

幸さんが手のひらほどある紙袋を手渡してくれる。中身は有名ブランドのアイシャドウパレットだった。

「可愛い……!色味もすごく綺麗だしデザインも素敵……」

「和と二人で選んだんだ。雅が好きそうなのどれかなーって」

「気に入ってくれたら嬉しいな」

「すごく気に入りました!ありがとうございます……!」

「どういたしまして」

和さんがふわりと微笑む。悔しいけど、美人だなぁ……。

「……おっと、まだ話していたいけれど、雅のことを待ってる奴がいるみたいだからね。僕らはこれで失礼するよ。じゃ、パーティー楽しんで」

そう言うと二人は行ってしまった。

仲睦まじい二人の後ろ姿を少し切ない気分で眺めていると、

「田川先輩」

後ろから男性の声で呼びかけられた。

振り向くと、長身に銀髪の美男子がそこに立っていた。彼は……

「流星くん。今年も来てくれたんだ」

彼は境流星くん。二つ下の後輩だ。何故か三年前の入学以前から私の誕生日会に来てくれている。しかしながら、それまで会ったこともなければ顔すら知らなかったので、どうして私に会いに来てくれているのかは謎だった。

「あの……これ、プレゼント……良かったら」

「毎年ありがとう。流星くんがくれる物、いつも私の好みだから嬉しいんだ」

「……!そ、うっスか……」

彼は無口、というかぶっきらぼうな性格のようで、普段から取り巻きの女の子にも塩対応だ。私相手にも例に漏れず、いつも言葉少なであるけれど、今日は何だか様子がおかしい。何かを言い淀んでいるようだった。

「流星くん、どうかした?」

「いや……、その、そろそろ思い出してくれたりって……」

「思い出す……?何か約束してたりした……?」

どうしよう、何も思い出せない。そんな私を見た彼は少し悲しげな表情を浮かべると

「……いや、大丈夫っス。それじゃ」

と言って立ち去ってしまった。

どうしよう、怒らせてしまったかもしれない。けれど、私には何の心当たりも無かった。

ふと、彼から貰ったプレゼントを開けてみる。

それは、私の誕生石の付いた蹄鉄型のピアスだった。今年も私の好みど真ん中だ。けど、どうして蹄鉄……?と思っていると

「みやちゃん、どうかした?」

聖ちゃんとまなちゃんがやってきた。

「ううん、何も……」

「そう?なら良いんだけど。そろそろお開きにしようかと思って」

「あっ、もうそんな時間だね?うん、じゃあ挨拶するね」

私は集まってくれた人たちに挨拶をし、お誕生日会を終えた。

 

「聖ちゃん、まなちゃん、今日は本当にありがとう。楽しかったよ」

「みやちゃん先輩がそう言ってくれて、ウチらとしても頑張った甲斐がありますよ〜!」

「うんうん、最後だから張り切っちゃった」

「じゃあまた授業で」

「おやすみ〜」

「おやすみなさい!」

会場の片付けを済ませ、私は二人と別れ寮の部屋に戻ろうとしていた。両手にプレゼントが入った紙袋を持ち、よたよたと道を歩いていると、前方に3人の女性が立っているのが見えた。

あぁ……。私はどっと体が重くなるのを感じた。

こちらに気付いた一人が甲高い声を上げる。

「あー!田川せんぱぁい!お誕生日おめでとーございまぁす!」

ケタケタと下品な笑い声を上げる3人は、流星くんの取り巻きの女の子達だった。

「今日も流星にプレゼントもらったんですよねぇ?良かったですねぇ〜?」

「ほんと、特別扱いされて勘違いしちゃって、頭幸せですね〜」

「別に勘違いとかしてないよ……」 

「またまたぁ、女の子に冷たい流星から自分だけ優しくされてるって思ってるんじゃないですかぁ?」

「痛〜い!」

「だから……あぁもう、何でもいいから道開けてくれますか」

「え〜寂しいこと言わないでくださいよぉ。私達からもプレゼントがあるんですからぁ!」

その言葉が耳に入ると同時に、顔面に水飛沫が掛かった。アルコールの匂いもする。どうやらシャンパンを顔に掛けられたようだ。

「きゃははは!お誕生日おめでとうございま〜す!」

「お似合いですよぉ!」

彼女たちは逃げるように去っていった。

私はしばらくその場に立ち尽くしていた。ぽたりぽたりと髪の毛の先から雫が地面に落ちる。この服結構気に入ってたんだけどな……。そんなことをぼんやり考えていると、頭がくらくらしてきた。さっきのシャンパンのせいだ。アルコールにめっぽう弱い私には効果てきめんだったわけだ。私は近くのベンチで休むことにした。

紙袋をベンチに置き、ドサリと座り込む。幸いプレゼントは濡れていなかったようで安心する。

座ったはいいもののまだ頭が重く、気分も悪くなってきたため、膝を抱えるように前屈みになった。その姿勢で暫く休んでいると

「……田川先輩!?」

流星くんの声がした。

のろのろと顔を上げると、驚いた顔の彼がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

「りゅーせーくん……なんでいるの?亅

「……っと、いや、そんなことよりどうしたんスかそれ……」

彼はそう言いながらハンカチで私の髪や顔を拭ってくれた。

「いやちょっと……手荒い祝福を受けまして」

「……あいつらスか」

「……んーと」

「誤魔化さないでください。……っとに何考えてるんだ……!今度ちゃんと怒りますから」

「んにゃ……いいよ別に……りゅーせーくん人気者だね」

「迷惑です」

「はっきり言うね……」

「……アンタ以外に好かれたところで迷惑でしかない……」

「?なんか言った?」

「……何でもないッス。寮まで送ります。立てます?」

「んむ……まだ無理かも」

「じゃあもう少しここにいましょう」

流星くんは私の隣に腰を下ろした。

それから課題がどうの教授がどうのと他愛もない話をした。

「田川先輩……その、好きな人とか、いるんですか」

「どーしたの急に」

「いや……なんとなく」

「うーん……いる、といえばいる……けど、叶うとは思ってないよ」

「……英さんですか」

「なんだ、知ってるんじゃん」

「見てたら分かります……けど、あの人」

「言わないでよー……分かってるんだから。でも本人から直接聞いたわけじゃないから……」

「ん……まぁ……そうかもしれないですけど」

「あとはねぇ、もう諦めちゃったけど、ずっと忘れられない初恋の人がいるんだ」

「……!それ……!」

「もう10年以上前の話だよ。小学生の頃だもん。しかも会ったの1回きり。なのにラブレターまで書いて、笑っちゃうよねぇ」

「笑わない……!」

急に流星くんが真剣な声色で呟いた。

「りゅーせーくん……?」

「ちゃんと、覚えてるじゃないですか……!」

「え?うぅん、でも、もう顔も忘れちゃったし……名前も知らないし」

「……それ、俺だって言ったら信じてくれる?」

「えへぇ?ないない、だって年上の男の子だったと思うし〜雰囲気全然違うし〜」

「……そっか」

彼は何故か泣きそうな顔をしていた。

「あ、なんかそろそろ大丈夫そう!私帰るね」

「……寮まで送ります。荷物持つんで」

「えっ、申し訳ない」

「いや……」

彼は無言で寮まで送ってくれた。

「じゃあ、俺はこれで……おやすみなさい」

「うん、ありがとう。おやすみなさい」

帰っていく彼の背中はとても小さく見えた。

 

誕生日会の翌週。

私は授業の課題で使う素材の買い出しに来ていた。よく使うその店は歓楽街のすぐ近くにあり、周囲の治安こそ良くないが品揃えが豊富で重宝していた。

買い出しを終え、さっさと帰ろうとしていた私は、遠くに見知った二つの人影を見つけた。それは、幸さんと和さんだった。

ヒュッ、と一瞬息が止まる。なんで、こんな所に二人で。

私は、いけないと分かっていながら二人の後を追ってしまった。

そして見てしまった。二人がラブホテルに入っていく瞬間を。

眼の前が白く濁り始め、私はその場にしゃがみこんだ。うそ、そんな、いや、やっぱり……。

頑なに信じようとしなかった事実を突きつけられ、目に涙が浮かんだ。

 

それから、どうやって帰ってきたのかは分からないが、私は自室の隅で電気も点けずに泣いていた。

何を今更、誰もが知っていたことじゃないかと頭では分かっているが、心が理解を拒絶する。

そんなボロボロの私は、部屋の鍵を締めていないことにすら気付いていなかった。

 

泣き疲れた私はふとスマホを付けた。時刻は24時を回ったところだった。もうこんな時間か……と立ち上がろうとした、その時だった。部屋の扉のドアノブがゆっくりと下がり始めたのを見た。

慌ててドアに駆け寄るも、時すでに遅し。開いた扉の向こうに、3人の男が立っていた。

悲鳴を上げる間もなく、男の一人に口を塞がれる。部屋に侵入してきた男達はドアの鍵を締めると、私をベッドに押し倒した。抵抗しようとするも二人がかりで押さえつけられ、全く体が動かない。すると、もう一人の男が馬乗りになってきた。

必死で顔を背け、ぎゅっと目を閉じる。男の手が耳から頬、首筋を撫でた。意外にも優しい手付きに驚いて目を開けると

「雅、ちゃん……」

「……流星くん……?」

そこにいたのは切なげな表情を浮かべた流星くんその人だった。

「なん、で……」

驚いて彼に問いかけると、彼は無言でそっとキスを落としてきた。

「……ごめん。こんなの間違ってるよな」

彼は私の体から手を離すと、ベッドから降りた。

「もういい……帰る」

「えっ、でも……」

「せっかく……」

二人の男たちは私の拘束は解いたものの困惑している。

「いいから……。田川先輩、怖がらせてごめんなさい」

そう言い残し、流星くん達は部屋から出ていった。急いで扉に鍵をかけ、その場にへたり込む。

その日はベッドで寝る気にならず、床で一夜を明かした。

 

次の日から私は半月程引きこもり生活を送った。

授業の内容はありがたいことに聖ちゃんが教えてくれたため困らなかった。また、課題の制作も引きこもっていたこともあり順調に進み、発表会には出られそうだった。しかし、胸の内のモヤモヤはまだ晴れていなかった。

 

発表会当日。私が制作した衣装は優秀賞を貰い、卒業制作にも期待しているとのお言葉を戴いた。

ふと客席を見ると、幸さんが来ているのが見えた。ズシリと胸が重くなる。しかし、その隣にいる人物を見て呼吸が止まった。そこにいたのは流星くんだった。

 

発表会が終わり、急いで片付けを済ませホールを出ようとする、が

「田川先輩」

流星くんに呼び止められた。

恐る恐る振り返ると、申し訳無さそうな顔をした彼が一人で立っていた。普段は一匹狼のような雰囲気を纏っている彼が、今日は捨てられた子犬のようにしゅんとしている。

「あの、この前は、本当に申し訳ありませんでした……」

小さな声でぽつぽつと謝る流星くん。

「いや、もういいよ……」

じりじりと後退りながら答える。

「田川先輩、この後、時間ありますか……?ちゃんと話したくて……その……」

「ご、ごめんね、用事あるんだ!」

私はその場から逃げ出してしまった。

 

走ってきたはいいものの、行く宛も無かった私は中庭のベンチに座り、呼吸を整えていた。

襲われかけたことは、正直もう、いい。特に酷いことをされたわけでもないし、まぁファーストキスは奪われてしまったけど……。

でも、やっぱりまだ彼の顔を直視できない。怖いというより気まずい。

けど、話って何だろう。それだけは気になっていた。

一人ぼうっと考え込んでいると、近付いてくる足音がひとつ。

「雅、大丈夫?」

幸さんだった。はい、とペットボトルのお茶を手渡してくれる。

「あ……はい。ありがとうございます……」

「隣、いいかい」

「もちろんです」

幸さんは隣に座ると長い脚を組んだ。

「流星となんかあった?」

「う、えぇ……まぁ……」

「ま、本人からだいたいの話は聞いたんだけどね。ちゃんと叱っといたからもう馬鹿なことはしないはずだよ」

「あ……はい……」

「それにあいつ……本気だよ、雅に」

「本気、って」

「ま、本人でもないのに言うのは野暮だからね。多くは語らないけど。でも、一回ちゃんと話してみてもいいんじゃない」

「そう……ですよね」

「ん、まだ顔が晴れないね。他にも何か悩んでる?」

「……」

「僕には言えないこと?」

「……幸さん、って……和さんとお付き合い、されてるんですか」

「ん?うん。付き合ってるよ」

「その……女性同士、とか、気にならなかったんですか」

「んー、僕は全然。和は少し気にしてたけど、本気で好きだって伝えたら、オッケーしてくれた」

「幸さんは、和さんのこと……」

「愛してるよ」

「そっか……そっかー!」

私は大きく伸びをした。

「幸さん……私、幸さんのこと好きだったんです。いや、今でもかな。でも、その言葉を聞いて諦めがつきました。幸せになってください」

「雅……うん、ありがとう。好きになってくれたことも。幸せになるよ」

「はい!……私、流星くんの話、ちゃんと聞いてきます。相談に乗ってくれてありがとうございました」

「それがいいよ。また何かあったら話してよ。相談には乗れるからさ」

私は大きく頷くとその場を後にした。

 

私は部屋に荷物を置くと、流星くんを探しに出た。

しかし、彼がどの授業を取っているかなど知る由もない私は校舎内をうろうろするだけだった。

彼と同学年の学生に聞いてみるも、誰も知らないようだった。

ダメかぁ、と校舎内のイスに座っていると、1番見つかりたくない人たちに見つかってしまった。

「あっ、いたいた〜」

「田川先輩〜流星のこと探してるらしいじゃないですかぁ」

「急に何なんですかぁ?あからさまに狙いだしてぇ」

例の取り巻き3人組だ。

「狙ってるとかじゃなくて、単に話がしたいだけだよ」

「話?怪し〜」

「要は抜け駆けでしょ?良くないですよ先輩〜」

3人が距離を詰めてくる。

「この際ハッキリ言いますけど、アンタ目障りなんですよ。ちょっと流星に気に入られてるからってデカイ顔しないでくれます?」

「いや気に入られてはないって」

「は?カマトトぶらないでくれません?マジウザいんですけど」

「さっさと流星の前から消えてくださいよ」

完全に囲まれお手上げ状態になっていると、そこへ

「消えるのはお前らだよ」

横から聞き慣れた声がした。

「えっ……流星」

「なんでいるの」

3人があたふたし始める。

「田川先輩が俺のこと探してるっていうから……お前らも見つかるとは思わなかったけど」

「ね、ねぇ流星?なんでこの人にそんな構うわけ?ウチらのが可愛いじゃん?」

「黙れ」

流星くんは取り巻きの言葉を一蹴した。

「俺は田川先輩に用があんだよ。さっさとどっか行け、二度と関わるな」

彼は冷たく言い放つとつかつかとこちらに歩み寄り、私の手を取った。

「行きましょう」

そして私は手を引かれるまま彼について行った。

 

連れて来られたのは彼の部屋だった。

「すいません、落ち着いて話せるとこ、ここしか思い付かなくて……何もしないんで、その、とりあえず座ってください」

彼に促され腰を下ろす。彼は私の前に座ると、深々と頭を下げた。

「この前はいきなり襲うような真似して、怖がらせて本当にすみませんでした」

「ううん……それはもういいよ。何も被害受けてないし……」

「……ごめんなさい、焦ってたんです。田川先輩もうすぐ卒業しちまうって思って……また、遠くに行っちゃうって……そんで友達に相談したら強引にでも行けって……あいつら酔ってたから……」

「そうだったん……ん、待って……また?」

「前に話してた、その、初恋の……人、あれ本当に俺なんです」

「えっ……いやいや、前も言ったけど年とか雰囲気とか違うし……」

「……これ見ても信じてくれませんか」

彼はそう言うと1枚の紙を取り出した。

それはだいぶ古いもので端が黄色みがかっていた、が確かに見覚えがあった。

「それ……!私が書いた……!」

それは、10年以上前に初恋の人に宛てて書いたラブレター、そのものだった。手紙の右下には『田川雅より』とご丁寧に名前まで書いている。

「なんで流星くんが持って……!?」

「俺宛だからに決まってるでしょ」

「えっ、えぇ?」

「あの時いた子供は俺と田川先輩だけでしたからね、人違いじゃないですよ」

「ほ、本当に……?でも、年上のお兄さんに見えたけど……」

「俺背ぇ伸びるの早かったスから、まぁ無理はないかと」

「でも雰囲気全然違うし……」

「男子三日会わざれば、っていうでしょ。10年も経てば変わりますよ。むしろ田川先輩が変わってないというか」

「え、私のこと覚えてたの」

「……当たり前ッスよ、一目惚れだったんだから」

「……ふぇ?」

「あの時楽しそうに馬に乗ってる姿見て、好きになったんですよ……それで手紙まで貰って舞い上がって、次会ったら話しかけようと思ってたのにいなくなってて……すげぇ寂しかった」

「流星くん……じゃあ、ここで再会できたのってすごい奇跡なんじゃ」

「いや?俺が追いかけてきました」

「はい?」

「田川先輩、1年の時に賞取ったじゃないですか。あれが載ってる雑誌たまたま読んで。名前も雰囲気も同じだったからこの人だ!って分かって、同じ大学受けたんス」

「お、おぉ……」

「入学前にこっそり誕生日会に潜り込んだりして」

「そういえば私が2年の時から来てくれてたね……!?」

「本当に鈍いっていうか、ぼんやりしてるっていうか……」

流星くんが呆れたように、でも優しく微笑む。

「分かってくれました?俺、田川先輩……雅ちゃんのこと、ずっと好きなんです」

「う、うん……ちゃんと、理解しました……でも、なんで早く言ってくれなかったの?」

「だって、気付いてほしかったから……」

流星くんは口を尖らせた。その仕草が可愛らしくて笑みを浮かべる。

「何笑ってんの」

「ううん……可愛くて」

「嬉しくない……」

ますます拗ねる流星くんがやっぱり可愛くて、笑ってしまう。

それを見た彼も一緒に笑い出した。

しばし笑いあった後、彼が真剣な目をして言った。

「あの、改めて……好きです。俺と付き合ってくれませんか」

「……ごめんなさい」

「……え」

彼はぽかんとしている。そりゃそうだろう。この流れで振られると思う方がおかしい。

「あの、私、今失恋したばっかりで、正しい判断ができる状態じゃないんです。そんな時に付き合うなんて、流星くんに失礼だから……。それに、今の流星くんのことよく知らないから……もっと仲良くなってからがいいな、って……あ、待たせようってわけじゃないんです。全然、他の人にいってもらってもいいから……」

「……」

流星くんは私の言葉を静かに聞いてくれた。

そして話し終わると、私の目を見て言った。

「分かった。じゃあ……今の俺のこと、好きになってもらえるように頑張る」

「流星くん……」

「正直失恋につけ込みたいけど、我慢します」

「正直だね」

私が笑うと、彼も困ったように笑った。

 

それから、流星くんとは度々話すようになった。前までのぶっきらぼうな雰囲気はどこへやら、常にニコニコしておりまるで別人のようだった。

そんな様子を見ていたまなちゃんや聖ちゃんからは

「みやちゃん先輩、最近境っちと仲いいですね〜、付き合っちゃう感じ?」

「最近の境くんにならみやちゃん託してもいいわ」

等とからかわれた。けれど、全く悪い気はしなかった。

しかしながら、今は絶賛卒業制作の作業中。それどころではなかった。

「聖ちゃんいいから手ぇ動かそ」

「それはそう」

普通に修羅場だった。

そんな修羅場にも流星くんは差し入れを持ってきてくれたりと優しく見守ってくれていた。

そして忙しい毎日は私から失恋の痛みを取り去ってくれた。

 

そして卒業制作の発表当日。私は朝から準備でバタバタしていた。だから、衣装に忍び寄る3人の姿に気付くことができなかった。

バシャン!

大きな音がした。何かあったのかと様子を見に行くと、そこには真っ青な顔をした取り巻き3人組とペンキで真っ赤に染まった流星くんの姿があった。

「いい加減にしろ!」

彼の怒声が空気を震わせた。

その声にどんどん人が集まってくる。3人組は半泣きで体を震わせている。

「流星くん!」

慌てて彼に駆け寄る。

「だ、大丈夫……じゃないね、とりあえず洗おう……」

「それより衣装は!?」

「えっ……」

私は言われるがまま衣装を確認した。幸い被害は全く無かった……流星くんが守ってくれたおかげだ。

「だ、大丈夫」

「良かった……」

彼は安堵の溜息をついた。そして3人組に向き直ると、憤怒の形相を浮かべて吼えた。

「テメェら!どんだけ人に迷惑かけりゃ気が済むんだよ!衣装ダメになったら洒落になんねえことくらい分かんだろ!雅ちゃんがテメェらに何かしたか?あぁ?俺に文句があんなら直接言えやゴラァ!」

3人組は完全に泣き出してしまった。そしてそのまま駆けつけた教員に連れられて退場した。

「流星くん……ありがとう。それと、ごめんなさい……私のせいで」

「いや、むしろ俺のせいだから。迷惑かけてごめん。着替えてくるから……準備、頑張って」

彼はそう言い残し去って行ってしまった。

残された私達は床を掃除し、発表会の準備を進めた。

 

発表会はつつがなく終わった。最後に挨拶のために壇上に立つと、幸さんと和さんの姿が見えた。けれど以前のような胸のざわめきはなく、穏やかな気持ちで二人を見ることができた。

しかし、流星くんの姿がない。私は少し寂しさを覚えながら降壇した。

 

衣装などの片付けを終え講堂を後にしようとした時、

雅ちゃん

流星くんの声がした。

「あっ……!流星くん!大丈夫だった?」

「はい……あの後、先生達から事情聞かれてて。発表会間に合わなくてごめんなさい」

「ううん……本当にありがとう……衣装を守ってくれて」

「ん、当然です……好きな人の大事なもの守るなんて」

「流星くん……ねぇ、この後時間ある?」

「え、はい……」

「その……部屋、来ますか」

「……いいんですか」

「うん……ちゃんと話したくて」

「じゃあ、行きます」

私は彼とともに自室へ戻った。

 

「改めて、今日はありがとうございました」

私は深々と頭を下げた。

「いや、元はと言えば俺のせいなんで……気にしないでください」

「優しいね」

雅ちゃんだからだよ」

彼がふわりと微笑む。

「あ、ピアス……」

「着けてるよ、すごく気に入ってる」

「……ありがとう」

しばらくの沈黙。ややあって私は口を開いた。

「……それで、なんですけど、その……お付き合い、させていただけないかと」

「それは……」

「勘違いしないでほしい。今日のことがあったからじゃなくて、その前から、発表会が終わったら言おうと思ってたの」

「……失恋からは立ち直れたんだ?」

「うん、もうサッパリ。それに、ちゃんと分かったからね。今の流星くんのこと……不器用だけどとっても優しい人だって」

雅ちゃん……」

「私も流星くんが好きです」

彼の目を見て告げると、彼はふにゃりと破顔した。

「俺も雅ちゃんが好き」

彼は私の手を引くと、腕の中に私の体を収めた。

「ずっとこうしたかった」 

彼の胸に当たった耳に、トクトクと早い鼓動の音が届く。

雅ちゃん

「……なぁに」

「キスしたい」

私は彼から体を離すと目を閉じた。しばらくの後、唇に柔らかい感触。

「……あの時は無理やりしてごめん」

「……ファーストキスだったのに」

おどけて言うと、彼は困ったように笑った。

「俺もだよ」

「……はい?」

「え、だから俺も初めてだったって……なんなら女の子抱きしめたのもこれが初めてだし……」

「嘘つけ〜、その顔とナリでそれは無理がある」

「本当だって……!雅ちゃんこそ可愛いんだから初めてじゃないだろ」

「それが……残念ながら」

「ふっ……はは、そっか、それは嬉しい」

流星くんは再び軽いキスを落とすと言った。

「じゃあ俺が雅ちゃんの初めて、全部貰うね」

「え」

「そういうつもりで部屋に上げたんじゃないの?」

「や、ちが、待って」

「俺、もう待てないんだけど」

切なげな表情を浮かべる流星くんの前に、私は敗北した。

 

「……と、いうわけで流星くんと付き合うことになりまして」

「そっかそっか、まぁ、雅が幸せになってくれて良かったよ」

「幸さんの言葉が無かったら流星くんとちゃんと話すこともなかったと思います……だから、幸さんのおかげです」

「僕は何もしてないよ、全部雅が自分で切り開いたんだ。頑張ったね」

「……ありがとうございます。あ、そろそろ時間なので行きますね」

「デートかい?」

「あ、その……えへへ」

「奇遇だね、僕もこれから和とデートなんだ」 

「お互い楽しんできましょうね」

「ああ、じゃあね」

去って行く幸さんを見送る。彼女とは良好な友人関係を続けられている。彼女を好きだった時間を無駄だったと思うことはない。それも全て、今の私を形作っているのだから。

さて、私もそろそろ行こうか。今日は水族館に行く予定だ。

私は慣れないヒールで小さく一歩を踏み出した。

 

トッピング全部盛りクレープ2000円

「海だ〜〜〜〜〜!!!!!」

「プールだろ」

はしゃぎまくる嬢ちゃんに冷静にツッコミを入れる。

「プールなんて何年ぶりだろ〜」

「私はこんな大きいプールは初めてです」

「そうなの!?楽しもうネ!」

ああ……姦しい。

俺といつもの三人組は、東京郊外のデカいプールに来ていた。来てしまった。

始まりは一週間前。嬢ちゃんがLINEグループに

『ねぇねぇ!来週の日曜みんなでプール行こうよ🏊おっきいトコ💕絶対楽しいよ😆』

と、送ってきたのだ。

小島さんは仕事があると申し訳無さそうに断っていたが、あとの二人はめちゃくちゃ乗り気だった。俺はそれに乗じて無視を決め込むつもりだったが、嬢ちゃんは甘くなかった。

『オジサンは?来るよね?』

『予定ないって女の勘が言ってるよ??』

『ねぇオージーサーン!!!』

『わざと無視してるでしょ!?分かってるからね😡』

『オジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサンオジサン』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

『不在着信』

……とうとう俺は観念した。

『分かった!俺が悪かった!行くからもうやめろ!』

『やったぁ!じゃあ来週絶対来てね💖約束破ったらお師匠に言いつけるから』

退路を断たれた俺は、渋々ムラサキスポーツに水着を買いに行ったのだった。

そして今日。重い足取りで現地に向かった俺は早速嬢ちゃんのハイテンションボケという洗礼を浴びたのだった……。

 

「さ、早く着替えてプール行こ!」

「そうだね!」

「ワクワクしますね……」

お喋りが止まらない三人と別れ、更衣室へ向かう。やはり学生と思しき若い輩ばかりで、俺みたいなオッサン一人で来てる奴はまあいない。少し肩身の狭い思いをしながら着替え、プールサイドへ向かう。

外に出ると日差しが照りつけてきた。三人はまだ出てきていないようだった。女は支度に時間掛かるモンだしな。スマホをいじりつつ待っていると、

「オ〜ジ〜サンっ♡」

後ろから甲高い声が響いた。恐る恐る振り向くとそこには、

「……え?」

黒地の水着の腹部分の右半分が網のようになった、非常に露出度の高い水着を着た嬢ちゃんがいた。

「どお〜?この水着、すっごく可愛いでショ?」

「……それ、公序良俗的にオッケーなのか?」

「よく分かんないけど、私可愛いから許されるヨ」

どっから来るんだその自信は。

「楊ちゃ〜ん!待って〜!」

遅れて先生と伏見先生もやってきた。先生は紺のワンピースみたいなやつ、伏見先生はフリフリで肩の出た上にショートパンツと、常識的な水着だったのでホッとする。

「オジサン、よく見たらムキムキだネ!?カッコいいヨ!」

「あー、まぁ、昔は鍛えてたからな……」

「ふーん。あ、写真撮ろ!」

話振っといてこの反応。もう慣れたけど。

「ハイ、撮るヨ〜!オジサンもっと笑顔!」

ぎこちない笑みを浮かべ、写真に写る。どうせこの写真もお師匠サンに送られちまうんだろうな……。

「ヨシ!盛れた〜♡サ、プール行こ!」

スマホを防水ケースにしまった嬢ちゃんはルンルンと歩きだした。と、先生が小さく挙手する。

「あ……すみません、浮き輪を借りてきてもいいでしょうか」

「オッケーヨ〜!私も借りよ!」

レンタルコーナーに立ち寄り、浮き輪を借りる二人。戻ってきた嬢ちゃんの手には浮き輪……ではなく、デカいイルカ型の浮き具が。

「見てこれ可愛いでショ!映えるヨ〜!」

「わっ、可愛い!」 

「撮って撮って〜!」

その場で撮影会が始まる。その横で先生は念入りに準備体操をしていた。

「ヨシ!いよいよプールに出陣ヨ!波の出るプール行こ!」

イルカを抱きかかえた嬢ちゃんを先頭に、俺達は波の出るプールに向かった。

波の出るプールは人気スポットのようで、多くの若者でごった返していた。

バシャバシャと水飛沫を上げてプールに駆け込む嬢ちゃん。あとに続いて入ると、やや冷たい水温が心地よい。

「混んでるネ〜、奥行こ、奥!」

嬢ちゃんはイルカに上半身を預けて奥へ奥へと泳いでいく。

「結構波大きいですね〜、いい運動になりそう!」

伏見先生も腕を振りながら続く。正直面倒くさかったが、三人(特に嬢ちゃん)が何かやらかすのではないかと思いついていった。

と、そこへ放送が入る。

『波の出るプールにお越しの皆様!お待たせしました、大波タイムで〜す!』

わっと周りから歓声が上がる。大波タイムとは……?と不思議に思っていると、不意に大きな飛沫が顔に掛かった。足元を引いていく波も強い。なるほど、普段より波がデカくなるボーナスタイム的なやつか。

「わ〜!波おっきい!乗るしかないネ、このビッグウェーブに!」

嬢ちゃんはイルカにまたがり大波を乗りこなしていた。

「楊ちゃんすご〜い!」

伏見先生はそんな嬢ちゃんを動画に収めている。

そして先生は……先生がいない。

「伏見先生、先生はどこに?」

「あれっ、筆子さんいない……?さっきまでそこにいたのに」

「エッ、筆ちゃん迷子?」

異変に気付いた嬢ちゃんもイルカから降りてやってくる。

三人で辺りを見回していると、見つけた。

プールの最奥部で波に翻弄されている先生を。

「先生ーーーーー!」

「筆ちゃーーーん!」

「筆子さーーーん!」

俺たちは叫んだ。

と、こちらに気付いた先生が謎のポーズを決めた。

「あっ、なんか楽しそうだネ!」

すると次の瞬間、とびきり高い波が先生を飲み込んだ。

「おいーーーー!?」

「ワーーーーー!?」

「いやーーーー!?」

俺達は急いで先生の元に向かった。波が引き、ずぶ濡れになった先生が姿を現す。

「筆ちゃん大丈夫!?」

「……浮き輪のおかげで助かりました。自然は厳しいですね」

いやここプールだから!プールで遭難しないでくれ!

「あっ、また波が来そう」

「早く岸に戻らねぇと……」

「私に任せてヨ!みんな、イルカさんに掴まっててネ!」

……何をする気だろうか。とりあえず言われた通りイルカのヒレを掴む。先生と伏見先生もそれぞれヒレを掴んだ。

と、嬢ちゃんがイルカの上に飛び乗り、そのまま立ち上がった。

「最高のビッグウェーブ……乗りこなしてみせるヨ!」

背後から大波が迫る。嬢ちゃんはタイミングを合わせて大きく屈伸すると、波の上に乗り上げた。

「うおぉぉぉぉぉ!」

そのまま波の上をサーフィンするように滑り、俺達は岸近くまで運ばれたのだった。

「あの子すげー!」

「やば!超カッコいいんですけど!」

周りから歓声が上がる。嬢ちゃんはブンブンと手を振って声援に応えていた。

そして運ばれた俺たちはというと……波に飲まれ頭の先からびしょ濡れだった。

「先生、伏見先生……大丈夫ですか?」

「楽しいアトラクションですね」

「楊ちゃんすごいなぁ〜。体幹がすごい」

二人は特に気にしていないようだった。

「ネ、次スライダー行こうよ!」

「あ、行きたーい!」

「スライダー……初体験です」

きゃいきゃいと相談する三人。

「俺はパス……」

「ダメだヨオジサン!ここの名物スライダーは二人乗りなんだかラ!」

嬢ちゃんに無理矢理手を引かれ、スライダーの乗り場へと向かう。俺はもう諦めたよ……。

スライダーは、筒の上半分を切り取ったような形をしており、そこをデケェ浮き輪に座って滑り降りるというスタイルだった。

「結構並んでるね〜」

「じゃあ、並んでる間にペア決めヨ!ぐっぱーぐっぱー!」

“ぐっぱー”の結果、嬢ちゃんと伏見先生、俺と先生が一緒に滑ることになった。先生の年齢は分からないが、おそらく最年長ペアだろう。

「よろしくお願いします」

ご丁寧に挨拶してくれる先生。

「はは……どうも……」

そうこうしてるうちに順番が回ってきた。

先に滑る嬢ちゃんと伏見先生が準備をする。

「ナナちゃん!動画の準備はオッケー!?」

「バッチリだよ〜!」

二人はスライダーに吸い込まれていった。

「くず……さん」

唐突に先生に話しかけられる。

「どうしました?」

「この……スライダーというのはどういったものなのでしょうか?いえ、この輪に乗って斜面を滑り降りるというのは分かります。ですが、それがアトラクションになるというのが分かりません。そもそもジェットコースター等の斜面を高速で滑走する遊具の楽しさというのが理解できないのですが、あれはベルトで固定されていて安全が保証されていますよね。確実ではないですが。しかしこのウォータースライダーはほぼ体が剥き出しのままですよね。水のクッションがあるとはいえ安全面では……」

「……怖いんですか?」

「怖くありません」

……俺は先生が怖い。

嬢ちゃん達が滑り終えたらしく、スタートに案内される。チューブを置き、前側に座る。ガチガチの先生も躊躇いつつ後ろに座った。

「それではいってらっしゃ~い!」

スタッフにチューブを押され、俺たちはスライダーに投げ出された。最初は普通のスライダーと変わりはない。が、しばらくすると視界が開けた。そして右に大きく振られる。半円の端近くまで到達すると、今度は逆側にグンッと揺さぶられる。普通のスライダーと比べて疾走感には欠けるが、この動きはなかなか面白い。と、心配になって後ろを振り返ると、先生は無表情でチューブの取っ手を握りしめていた。

チューブはジグザグとした動きを繰り返しながら、終点に辿り着いた。チューブから降り、先に滑り終えた二人と合流する。

「あっ、オジサン!筆ちゃん!楽しかったネ〜!」

「お二人が滑ってるところも撮っちゃいました!」

俺達声一つ上げなかったが、面白いのだろうか。

「先生、大丈夫ですか?」

無表情のままの先生に問いかける。すると

「……もう一回、乗りたいです」

先生が顔を少しだけ綻ばせた。

 

その後、もう一度乗るという先生と嬢ちゃんを見送り、俺と伏見先生はスライダーの降り口で二人を待っていた。

葛巻さ〜ん、そろそろお腹空きませんか?」

「あぁ、そういえば……腹減ってきましたね」

「ですよね!!!ここのプール、グルメもなかなか有名なんですよ」

伏見先生がスマホを向けてくる。そこには、ここのグルメ情報がまとめられていた。

「ここのソース焼きそば、すごく美味しいらしいんです!あとこのハンバーガーも美味しそうで……でもラーメンも捨てがたいんですよね……あぁ、クレープも可愛い!どうしましょう……?」

「全部食べたらいいと思いますよ」

「ですよね!!!」

俺の返事を待っていたと言わんばかりに伏見先生は満面の笑みを浮かべた。

 

帰ってきた二人も空腹とのことで、俺達はフードコートに向かった。俺は美味いらしい焼きそばを食うことにした。嬢ちゃんはハンバーガー、先生はラーメン。伏見先生?勿論全部である。

焼きそばはソースが効いていて確かに美味かった。それはいいんだが……

「見て見て!このハンバーガー、ケチャップでニコちゃん描いてあるノ!」パシャ

「モグモグモグモグモグモグモグモグ」

「ネ、可愛いよネ!」

「ススッ……」

「それにポテトがお星さまなのヨ!映えだネ!」パシャパシャ

「ズゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾ」

「アチッ」

「えっ、焼きそばめっちゃ美味しい?オジサン一口ちょ〜うだいっ」

「モゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」

「メンマ……」

あ〜〜〜〜〜!だと思ったよ!

相変わらず嬢ちゃんはパシャパシャうるせえし、相変わらず伏見先生が咀嚼音で会話できてんの謎だし、相変わらず先生は食うの遅すぎるし!

あと嬢ちゃんは俺が何か言う前に焼きそばを食った。

「あとでおやつにクレープ食べようネ〜」

 

「サ、午後の部だヨ〜!まずは腹ごなしに、水中バレーでもしようカ!」

いつの間に借りてきたのか、ビーチボールを小脇に抱えた嬢ちゃんが高らかに言う。

「じゃあチーム分けしよう!ぐっぱーネ!」

“ぐっぱー”の結果、俺と伏見先生、嬢ちゃんと先生のペアに決まった。

「よーし、負けないヨ〜!」

「こっちだって!」

腰くらいの高さのプールに入り、2対2で向かい合う。

「行くヨ!そーれっ」

嬢ちゃんの鋭いサーブが飛んでくる。だが俺の正面。難なくレシーブし伏見先生に繋ぐ。

「任せてくださいっ!」

伏見先生が綺麗なトスをあげる。俺はそのボールを軽めに向こう側へ叩き込んだ。まぁお遊びだし、こんくらいがちょうどい……

「甘いッ!」

嬢ちゃんが俺のアタックを軽くいなすようにレシーブする。

「筆ちゃんッ!」

「はい」

そして先生がそのボールをトスした……頭で。

あらぬ方向に飛んだボールに飛びつく嬢ちゃん。そして放たれたアタックは、俺と伏見先生の丁度真ん中にズバァンと着水した。

「……っ!」

「強い……!」

「私はいつだって本気ヨ……。見せてもらおうか、本気の二人をぉ!」

……いつからスポーツ漫画になったんだ?

嬢ちゃんは本気出せと言うが、明らかに苦手そうな先生もいることだし、ゆるくやろうぜ……と下からサーブをする。緩い曲線を描いたそのボールは……先生の顔面に着地した。

「筆ちゃーーーーーーーん!!!!!」

「筆子さーーーーーーーん!!!!!」

「あっ……スミマセン」

顔面にボールを受けた先生はぷくぷくと水に沈んでいった。

「よくも!よくも筆ちゃんを……!許さない!絶対に許さないぞ!」

涙目の嬢ちゃんが俺を物凄い形相で睨んでくる。

「筆ちゃんの仇は私がとるッ!」

「いや生きてるから」

「生きてます」

水面から半分だけ顔を出した先生がピースサインをしている。

「くらえッ!必殺仇討ちサーブ!」

「うおっ」

強烈なサーブが飛んでくる。レシーブするもボールは後ろに逸れてしまった。

「スイマセン伏見先生!」

「大丈夫!ハイッ!」

伏見先生が何とか拾ってくれる。上がったボールを誰もいない水面目掛けて叩き込む。

が、水面が盛り上がったかと思うと、いないはずの嬢ちゃんがそこに現れた。

「甘い甘いッ!」

難なくレシーブされてしまう。上がったボールを先生が、今度はちゃんと手でトスするも大きく右に逸れた。

「あ、すみません」 

「無問題!」 

水から飛び出した嬢ちゃんが大きく右に飛び、上がったボールを力強く叩く。

伏見先生の正面に飛んできたボールを彼女がレシーブするが、球威に押されて水面に倒れ込んでしまう。クソっ、ここはこのままアタックするしかねぇ!俺は低く上がったその球を嬢ちゃん目掛けて強打した。

「真正面に打ち込んでくるなんて、舐められたもんヨ」

嬢ちゃんに軽々レシーブされた球は、先生の頭を経由して高々上がった。

「これで……終わりヨ!」

嬢ちゃんのアタックは目にも止まらぬ速さで俺の左を掠め、大きな水飛沫を上げて着水した。

「ッシャア!見ててくれた、筆ちゃん……仇、とったヨ……」

空を見上げ呟く嬢ちゃん。いや先生生きてっから。横でダブルピースしてっから。

 

しばし水中バレーで遊んだ俺達はその後、休憩してクレープを食った。伏見先生はトッピング全部盛り(2000円)とかいう化け物クレープをペロリと平らげていた。

「ウーン、疲れた体にクリームが沁みるネェ」

確かに、先程の水中バレーで一気に疲れた。

先生は……分かりにくいが昼より食べる速度が更に遅いから疲れてはいるのだろう。伏見先生?アホみてえなボリュームのクレープ食ってるし元気なんじゃねえか。

「みんなお疲れみたいだシ、プール切り上げて温泉ゾーン行こっカ!」

ここのプールには温泉まであるのか。確かに疲れた体を温泉で癒せたら嬉しい。……癒やせたらな。

 

先生がクレープを食べ終わるのを待ち、俺達は温泉ゾーンへ向かった。岩に囲まれたそこに他の人影はなく、隠れ家的な雰囲気があった。

「わっ、いい雰囲気〜」

「入ろ入ろ!温泉〜♡」

お湯は少しぬるめだったが、疲れが溶け出していくような心地よさ。

「あ〜〜〜生き返るネ〜〜〜」

嬢ちゃんがオッサンみたいな声を出す。言ったらシバかれそうなので口にはしないが。

「温泉なんていつぶりだろ〜気持ちい〜」

「ほっとしますね……」

先生と伏見先生も気持ちよさそうに寛いでいる。

と、退屈したのか嬢ちゃんが口を開いた。

「しりとりでもしよっカ!7文字以上縛りで!」

……せっかく羽を伸ばしていたのにこれである。

しかしあとの二人は乗り気だった。

「あ、いいよ〜」

「言葉の戦いなら負けません」

特に先生は闘志を燃やしていた。いやただのしりとりだろ……。

「じゃ私からいくヨ!中華人民共和国!」

「次は私ですね……クラウチングスタート

「じゃあ私が!透析療法!」

「俺か……う……う、なぁ……あ、ウラジオストク

「く、だネ〜。首吊り自殺!」

つくばエクスプレス

「す〜……ステロイド剤!」

「い……い……一方通行」

「う〜〜〜……ウーバーイーツ!」

「つ攻めですか……いいでしょう、翼をください

「い……1型糖尿病!」

「またうか……上杉景虎

「誰それ。まぁいいヨ。乱暴狼藉!」

救急救命士

「し……心臓血管外科!」

「か、か……勘合貿易

キールハウリング!」

「グランドピアノ」

「の……のう……脳卒中後遺症!」

「う……う〜……雨後の筍」

「こー……光学迷彩!」

井の中の蛙大海を知らず」

「ず!?頭寒足熱……とか?」

「つ、なぁ……通常国会

「い!一仏浄土!」

……いつまでやるんだ。というか嬢ちゃんが出すワード、ちょいちょい治安悪いんだよな……。首吊りとか……キールハウリングって拷問だろ?あと先生が常に即答なのも怖いし、伏見先生が医療用語しか言わないのも怖い。

その後もしりとりは白熱し、俺達は半分のぼせながら温泉ゾーンを後にしたのだった。

 

「いや〜!今日は遊んだネ!楽しかったヨ!」

「ほんと〜!プールなんて久しぶりだったから楽しめるかな、って思ってたけどすっごく楽しかった!」

「スライダー……楽しかったです」

着替えを終え出口でスマホを見ていると三人が楽しそうに喋りながらやってきた。

「あ、オジサン!オジサンも楽しかった?」

嬢ちゃんにキラキラした目で見つめられ、思わず頷く。

「だよねだよね!またみんなで来ようネ!今度は小島サンも一緒に!」

楽しそうにぴょんぴょんと跳びはねる嬢ちゃん。その後ろ姿を見ながら、たまにはこういうのもいいかな、と思ったりするのだった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一方その頃小島さんは……

ルワンダ行きのフライトの最中だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

後日。

小島さんから小包みが届いた。開けてみると、封筒が一つと謎の置物が入っていた。

封筒を開けると、綺麗な文字でこう書かれていた。

『この前はご一緒できずごめんなさい。ルワンダに行ってました。お詫びではないですがお土産を送ります。“ルワンダのときめき”といって、お守りになるらしいので良かったら飾ってあげてください。』

謎の置物をまじまじと見る。モアイのように見えなくもない像に、花や星の装飾がほどこされている。そして両腕があるべき部分には鳥の羽と魚の尾のような何かが生えていた。

「……なんだこれ」

 

【< ウチらズッ友だょ (5)】

『小島サ〜ン!お土産ありがとう✨ちょぉウケる!かわいい(笑)』

『私にもありがとうございます!医局に飾ろうかな笑』

『いえいえ!無事届いて良かったです!』

『小島さん、とても素敵なお土産をありがとうございます。お守りにもなるなんて素晴らしいですね。早速机に飾りました』

    <筆子 が写真を送信しました>

『飾ってくださったんですね!ありがとうございます!す、すごい、美術館みたいな机ですね……😳』

『お気に入りのものは机に置いてるんです。美術館、素敵な例えをありがとうございます』

  <小島ゆうき がスタンプを送信しました>

『小島さん俺にまでお土産ありがとうございます』

葛巻さん!いえいえ、いつものお礼ですよ〜』

『みんなお揃いなんだネ!嬉しい💕みんなずーっと仲良くいられますように、ってお願いしよ🙏』

『僕もフライト前にお祈りしてます👍』

『残業減りますように……』

『締め切りが伸びますように……』

『それは恩田さんにお願いしてください💦』

『その前に原稿してくださいって恩田さんの悲鳴が聞こえてくるようだ……』 

『オジサンは?何お願いするの?』

『え?そうだなぁ……無病息災、かな』

『ふーん、普通だね』

『普通が一番だろ』

『確かに!普通の日常が一番幸せで大切ですよね』

『そんなもんかァ。まぁでも、皆が幸せなら私はおっけーヨ👌』

 

そう、普通の日常こそ何より大切なんだ。

今までに経験した、不思議な出来事たちを思い出す。

もう二度とあんな体験をしませんように、とでもお祈りしとくか。

ちらりとルワンダのときめきとやらを見る。その時一瞬、そいつがウインクしたように見えたが……きっと気のせいだろう。

 

スパリゾートハワイアンズのステマ

「着きましたよ〜!ここが日本のハワイ!スパリゾートハワイアンズです!」

意気揚々と先頭を歩く耕太クン。彼の気合の入りようは、真っ赤なタンクトップとスパンコールが散りばめられたショッキングピンクのパンツからも読み取れる。

「日本のハワイか、楽しみだねぇ」

一方のファービーは白いロゴ入りTシャツに黒のダメージデニム。イケメンにしか許されないシンプルイズベストな出で立ちで柔和な笑みを浮かべている。

「なぁ、今んとこヤシの木くらいしかハワイ要素あらへんねんけど……」

俺は思わず口を挟んだ。建物の外観は役所と言われても頷ける程サッパリしており、全くハワイ感はない、

「入れば分かります!いいから早く〜!」

耕太クンにせっつかれ歩を進める。しばし歩くとようやく建物の入口が見えてきた。

入口前には謎のゆるキャラの巨大パネルが設置されており、なんとも言えない哀愁が漂っていた。

「耕太クン……このキャラなんなん?」

「彼女はココ姉さんです!妖精さんなんですよ!」

「ふ、ふ〜ん……」

「せっかくですし写真撮りましょう!ハイ、倫さん!ファービーさん!並んでください!」

耕太クンがスマホを取り出し俺らに号令をかける。俺は渋々従った。

「撮りますよ〜!あ、倫さん表情が硬いですよ!もっと笑って!」

「お、おう……」

正直顔面国宝級の二人と写真に写るのは気が引けたが、致し方ない。俺は精一杯の笑顔を作った。

「撮れました!後でLINEグループに送りますね!」

「うん、ありがとう耕太くん」

「ありがとうな……」

「いえいえ!じゃあいよいよ入りますよ〜!」

俺達はスタッフさんの「アロハ〜!」の声に見送られながら館内に入った。

「さて、まずは水着買わんとな」

「そうだね、丁度そこに売店があるようだし、見てみようか」

「あ、僕は水着持ってきてるのでそれ着ますね!」

最高に嫌な予感がするが、ひとまず置いておく。

売店に入ると、思いの外沢山の種類の水着が並んでいた。俺は夕焼け空にヤシの木の影がプリントされた柄、ファービーは青地にハイビスカス柄のものを選んだ。途中耕太クンが嬉々とした顔でリアルなイルカが大々的にプリントされたブーメランパンツ型の水着を勧めてきたが普通に無視した。

会計を済ませ、更衣室に向かう。

「いやぁ、プールなんて中学生ぶりやわ」

「僕もしばらく来ていないな」

「ええっ、二人ともプール来ないんですか!?僕なんてここ年に4回は来ますよ!」

「それは多いな!?」

そんな他愛のない会話をしながらロッカーに荷物を入れ、水着に着替える。

ふと横の耕太クンを見てみると……オレンジ地にリアルなカメが大々的にプリントされたブーメランパンツ型の水着を着ていた。

「いややっぱりぃ!!!」

「どうしたんですか倫さん、急に大きな声出して」

「いや、その……耕太クン、その水着はここで買うたん?」

「そうですよ〜!可愛いでしょう?」

「あ、ああ……せ、せやな……」

「はは……耕太クンは面白い服を見つけるのが本当に上手だね……」

流石のファービーも苦笑いしている。

「さぁ!着替え終わったことですし、早速プールに行きましょう!」

しっかり水泳帽にゴーグルまで装備した耕太クンが先陣を切って更衣室を出ていった。俺とファービーも後を追う。

プールは思っていた以上に広がった。正直田舎のプールと侮っていたことを恥じる。

足洗い槽を通過しプールサイドに出る。平日なためか親子連れがまばらにいるのみで空いていた。

「オススメは流れるプールなんですが……お楽しみはとっておいて、まずは遊びましょう!」

耕太クンはシンプルな四角いプールにバシャバシャと突っ込んでいった。

「あ、待ってや耕太クン!」

俺も後を追ってプールに入る。水温は程よい冷たさで心地いい。

「ああ、丁度いい温度だね」

遅れてファービーがやって来た……ん?

ファービーその浮き輪どうしたん?」

「ん?あぁ、顔が濡れるのはあまり好きじゃなくてね」

アンパンマンか。いやちゃうくて、

「どっから持ってきたん?」

「ちょっとそこから拝借した」

彼が指差す先を見ると……『浮き輪レンタル 1時間600円』の文字。

「いや泥棒やんけ!」

俺は小声でツッコんだ。

「大丈夫大丈夫、ちゃんと1時間で返すから」

そういう問題ではない。

俺は溜息を吐き耕太クンを……あれ、耕太クンおらん。

キョロキョロしていると真横の水面が突然大きく揺らぎ、ザパァンと耕太クンが姿を現した。

「ぷはぁ……!倫さん!ファービーさん!水中息止め記録更新しました!45秒です!」

いつの間にか自分の限界を超えていた。

「お、おぉ……おめでとう!」

「すごいじゃないか耕太くん!」

何故か俺達は惜しみない拍手を送った。

「お二人も挑戦しませんか!?」

「「いや、いい」」

即答だった。

「えぇ……」

分かりやすく膨れる耕太クン。

「ねぇ耕太くん。さっきオススメと言っていた流れるプールが気になるな」

さりげなく話題を変えてくれるファービー

「……ああ、せや!俺も気になっとった!行ってみたいんやけどええかな?」

「ハイ!勿論です!行きましょう!」

すっかり機嫌を直した耕太クンに続いてプールを出る。流れるプールはすぐ近くだった。

「ここの流れるプールには水槽があるんですよ!」

「水槽、かい?」

「ハイ!お魚を見ながら泳げるんです!」

流れるプールに入る。一見何の変哲もない流れるプールだが、少し進むと、

「うわぁ、すごいなぁ!」

「へぇ!これは綺麗だ」

プールの中央に大きな水槽が配置されており、中には色とりどりの魚たちが泳いでいた。

「すごいでしょう!綺麗でしょう!僕も大好きなんですよ〜!」

ウキウキした耕太クンが水面を揺らした。

そのまま俺達は魚を眺めながら何周も何周も流された。それにしても本当に癒やされる。この穏やかな時間が永遠に続けばいいのに……。

「そうだ!」

唐突に耕太クンが声を上げた。

「どしたん、耕太クン」

「ビッグアロハ行きましょう!」

「ビッグアロハ……っていうのは何だい?」

スパリゾートハワイアンズが誇る巨大ウォータースライダーです!」

げっ。巨大かぁ……。普通のウォータースライダーならええけどデカいんはちょっとなぁ……。

「へぇ、面白そうだね」

「めちゃくちゃ楽しいですよ!」

「あ、俺はパス……」

「何言ってるんですか倫さん!ハワイアンズに来てビッグアロハに挑戦しないなんて、ハワイに行って海行かないようなものですよ!」

何やその微妙に分からん例え。

「いやぁ……でもなぁ……」

「あ、もしかして倫さん……怖いんですかぁ?」 

ニヤニヤしながら耕太クンが言う。

「は、はぁ!?べ、べべ別に怖ないし!」

「おやおや、倫くんは意外と怖がりさんなんだねぇ」

何故かファービーもニヤニヤしながらこっちを見てくる。

「せやから怖ないっちゅうねん!行ったろやないかい!」

俺はニヤニヤする二人を引き連れて流れるプールを出た。

 

ビッグアロハとやらの乗り場はプールから少し離れており、水着のままホテルのラウンジのような場所を通りつつ辿り着いた。

券を買い、階段で頂上を目指す。他に並んでいる人がいないようだったのは良かったが、とにかく道のりが長い。俺の膝は途中で悲鳴を上げた。

元気な耕太クンとファービーをゼエゼエしながら追いかけ、やっと頂上に辿り着くと……

「え、高」

外の景色が目に飛び込んできたのだが、とにかく高い。この高さから身一つで滑り落ちるというのか。膝が笑い出した。悲鳴あげたり笑ったり忙しいな、アンタ。

「誰から行こうか」

「じゃあ、ジャンケンで勝った人からにしましょう!」

「何でもええよ……」

ジャンケンの結果、俺が先陣を切ることになった。

「俺からか……」

「大丈夫?倫さん、やっぱり怖いですか?」

「怖ないわ!」

「じゃあ行きましょう!レッツゴー!」

スライダーの縁に座る。かなりの角度がついており下が見えない。え、は???マジで滑るん???これを???無理なんだが???

スタッフのお姉さんがオーケーサインを出しているが、恐怖で躊躇ってしまう。

「倫さーん、行っていいんですよー?あ、やっぱり怖いんですね!じゃあ僕が背中押してあげます!そーれ!!」

不意に背中を押され、俺は……手を離してしまっ@*&]+№~¿®£#’/$=5(0¢¡¿℃©[|<¿;”!$^=?:&!@$+‥℃}]

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」

悲鳴を上げるも声にならない。するとスライダーの色が切り替わり、なんとも美しい模様が浮かび上がった。おお、綺麗やなあああああああああああ曲がるううううううううう落ちるううううううううううおあああああああああああ!!!!!!

脳内で悲鳴を上げていると突然視界が明るくなり、俺は着水用プールに投げ出された。大きく開けていた口大量の水が流れ込んでくる。

必死に藻掻いて足をつくと、スタッフのオジサンに「お疲れさまでーす」と声をかけられた。

「あ、あっす……」

掠れた声で返事をし、プールから上がる。

い、いやあ、凄い目に遭った。あと耕太クンは後でしばく。

プールサイドで呼吸を整えていると、ザバァァンと大きな水しぶきが上がった。どちらかが来たらしい。見ると、長い髪をシャラリとかき上げたファービーがこちらに手を振っていた。くっそ、水も滴るいい男とはこのことか。

プールを上がったファービーは一言

「忘れていたよ、ウォータースライダーは着水で顔が濡れるね」

いやそこかい。

「でも、スライダーの模様が美しかったね」

「あ、そうよな!俺も思った!」

「おや、ちゃんと楽しむ余裕があったようで何よりだよ」

「どういう意味や」

などと話していると、また大きな水しぶきが上がった。耕太クンだ。

水から顔を出した彼は頭を左右に振って水飛沫を飛ばす。くっそ、水も滴る以下略。

「あ!倫さーん!ファービーさーん!」

こちらに気付いた彼が両手を大きく振りながらやってくる。

「いやぁ、やっぱりビッグアロハは最高ですね!倫さんも楽しかったですよね?」

「あ、あぁ……まあな」

「良かった!なんか滑ったらお腹空いちゃいましたねぇ〜。お昼食べましょう!」

「せやな、俺も腹減った」 

「賛成だよ」

俺たちはプールサイドの飲食店に向かった。

 

ブース形式の飲食店はハンバーガー、ピザ、ロコモコなどハワイっぽいラインナップが揃っていた。

「俺はハンバーガーかなぁ」

「僕はピザにします!」

「僕は折角だしロコモコにしようかな」

俺らは各々の食べたい物を求め『散ッ!』した。

5分後。俺らはテーブルに集い飯を食い始め……いや、その前に。

「なぁファービー……それ何?」

「これかい?ココナッツジュースだよ」

ファービーの前には子供の顔ほどもあるココナッツがデカデカと鎮座していた。

「あっ、それハワイアンズ名物なんですよ〜、お目が高い!」

耕太クンはほくほくしている。

「何でストロー2本刺さってるん?」

「さぁ?元からこうだよ」

カップルで仲良く飲めるんですよ〜」

……よう分からん。

ファービーさん!写真撮らせてもらってもいいですか?」

「勿論だよ。一緒にストローくわえて撮るかい?」

「ハイ!」

二人はココナッツにテンション上がりまくりである。俺は楽しそうな二人を眺めながらハンバーガーにかじりつ……

「次は倫さんと撮りたいです!」

「え」

結局俺も巻き込まれた。

 

食後俺達はまた流れるプールでゆるりと流された。これぞ癒し、これぞ至福。

が、そんな幸福は長続きせず、ビッグアロハ2回目に連れ出された。

俺のライフはもうゼロだった。

 

「はぁ……はぁ……」

「倫さんお疲れですねぇ」

「デカいスライダー2回は……キツいて……」

「うーん、時間もあれですし、そろそろ上がりましょうか!まだお楽しみはありますし」

「お、お楽しみ……?」

俺は訝しげな目を耕太クンに向ける。

「安心してください。怖がりな倫さんでも楽しめますから!最後のお楽しみは……温泉です!」

 

ザブン……と肩まで風呂に浸かる。昼から入る露天風呂のなんと贅沢なことか。スライダーですり減ったライフがみるみる回復していく。

「気持ちええなぁ〜」

「やっぱりプールの後の温泉は最高ですね〜」

耕太クンも顔が蕩けそうなほど和んでいる。

「この雰囲気もいいね、情緒に溢れているよ」

ファービーは長い髪を綺麗に結い上げ、色気に溢れた姿をしていた。俺らの後に入ってきたオジサンが一瞬ギョッとしていた。すまんな。

「いや〜……楽しいなぁ、スパリゾートハワイアンズ。耕太クンが年4で来るんも分かる気するわぁ」

「でしょう!?大好きなんですよ〜」

「確かに。僕ももうまた来たい気分だよ」

「また3人で来ましょう!絶対!」

「……せやなぁ」

「……そうだねぇ」

俺らはしばらく無言で露天風呂を楽しんだ。

 

その後、風呂の前の土産コーナーで駄菓子を買いまくる耕太クンを見守ったり、射的で店主を焦らせる腕前を披露したファービーに驚愕したりしながら、俺たちは出口に向かった。

 

「ふぅ、バイト先のお土産も買うたし、完璧やな」

「僕も福島名物が買えて嬉しいよ」

「二人ともハワイアンズを満喫してもらえたみたいで嬉しいです!」

「そういえば耕太くんも何か買っていたね?」 「せやせや、年4で来とんのに何買うたん?」

「これです!」

耕太クンが取り出したのは……例のゆるキャラのピンバッジだった。なぜか彼女(?)は軍隊のハンドサインをしている。

「これ、1回来るごとに1個買うって決めてるんです!全108種コンプが目標です!」

「……アカン〜〜〜ツッコミどころがカンストしとる〜〜〜」

俺は頭を抱えた。

 

 

※ココ姉さん軍隊ハンドサインピンバッジは販売されていません。

 

 

 

ノドグロ一皿240円(一貫)

「あっ、倫さ〜ん!こんにちは〜!」

遠くからピエロのような格好の人物が大きく手を振っている。認めたくないが、彼が今日の待ち合わせ相手だ。

「耕太クン……今日もその……オシャレやな」

ショッキングピンクと深い青の格子柄のトレーナーに黄色のスキニーパンツを合わせた耕太クンが嬉しそうにはにかむ。この微笑みだけ見ればとんでもないイケメンなんやけどなぁ……なぁ。

「え、分かりますか?これもブチックまるやまで買ったんですよ〜!」

「あー、ほっかー、良かったなあ」

などと駄弁っていると、背の高い美男子が近づいてきた。

「おや、待たせてしまったかな、申し訳ない」

もう一人の待ち合わせ相手、ファービーだ。今日は黒いシャツにグレーのパンツを履いており、シンプルながらも(顔面の効果で)洗練された印象を受ける。

「いや、俺も今来たとこやで」

「全然待ってません!さあ、お店に入りましょう!」

耕太クンは元気よくそう言うと店の戸を開けた。

 

「実は僕、回転寿司に来るの初めてなんだ」

席に着くなり、ファービーが衝撃の一言を放った。

「ええっ!?ファービーさん回転寿司初めてなんですか!?」

「ほんまに……?寿司食うたことないんか……?」

「いや、普通のお寿司屋さんなら行ったことあるよ。回るお寿司が初めてなんだ」

なんやこいつ、ブルジョワか。こちとら回らん寿司の方が食ったことないっちゅうの。

「そういうことなら、僕が回転寿司の楽しみ方を教えてあげます!」

耕太クンは謎にウキウキしている。

「せやな、俺たちが教えたるわ。まず席に着いたら手ぇ洗わなあかんねん。そこに蛇口あるやろ、黒いとこ押すとお湯が出るから手ぇ洗い」

「ああ、分かったよ」

ファービーは俺の言葉を1ミリも疑うことなく蛇口に手を伸ばした。

「ちょちょちょ、ちょっと!倫さん嘘教えないでください!ファービーさん、それはお茶用の熱湯が出る蛇口です!絶対手を洗っちゃダメですからね!」

「おや、そうなのかい?」

「まさか回転寿司の定番ジョークが通じんとは思わへんかったわ……ほんまに初めてなんやな」

「倫さん……倫さんまでボケたら誰がツッコむんですか?話の進行に支障が出るからツッコミに専念してください」

メタ的な視点で怒られた。

「はい!仕切り直して、まずはお茶を作ります!

この粉のお茶を湯呑に入れて、お湯を入れるだけです!」

耕太クンが手際よくお茶を淹れてくれる。

「お、ありがとな」

ズズッとお茶を一口啜る。寿司屋のお茶ってなんか美味いんよな。

「ありがとう耕太くん」

ファービーは受け取ったお茶を美しい所作で飲んだ。こいつ、やっぱり金持ちなんやな……。

「さて!待ちに待ったお寿司を食べましょう!」

耕太クンが元気よく言った。

「耕太くん、倫くん。一つ質問いいかな?」

ファービーが人差し指を立てた。

「この、レーンに流れてるお寿司は見本なのかな?どうやらタッチパネルから注文するようだけど」

「いえ!流れてるお寿司も食べられます!」

「回転寿司って元々タッチパネルなかったからな」

「なるほど、でもカバーが固定されているから取れないんじゃないかい?」

「あ、それならこうやって……」

耕太くんは流れてきたサーモンの皿の端をつまむと、クイッと上に押し上げ、難なくカバーを開けて皿を取った。

「はい、取れました!いただきます!」

「へぇ……そうやって取るんだ」

ファービーは今までに見たことがないくらい驚いている……そんな驚くとこか?

「でも、流れてくるの待ってるのは大変ですからね。こっちで頼んじゃいましょう!」

耕太クンはファービーにタッチパネルの画面を向けた。

「へぇ……全部安いねぇ……あ、ノドグロ食べようかな」

「のどぐろ……って何ですふぁ?」

先程のサーモンをムシャムシャしながら耕太クンが聞く。

「ん?魚だよ」

そらそうやろ。

「……って待てファービーノドグロ240円やし一貫しか乗ってないで」

「うん?そうだね」

「いやいや、他に安いネタいっぱいあるやん?」

「うーん、でも他のお店だともっと高いし、ノドグロ食べたいからねぇ」

「食べたいもの食べるのが回転寿司の楽しみ方ですよ、倫さん!」

……俺が……貧乏性なんかなぁ……。

「じゃあ僕は〜、カルビ寿司とハンバーグ寿司にします!」

「……っ」

思わずツッコミそうになるが、先の耕太クンの言葉を思い出しグッとこらえる。だが心の中でツッコむ分には自由だろう。いや魚食えや!

「倫さんは?」

「……マグロ」

「大トロかい?」

「いやいやいやいや!普通の赤身や、赤身!」

これだからブルジョワジーは!大トロなんか人生で食ったことあるか分からんっちゅうの……。

「じゃ、ひとまず注文しちゃいますね!」

耕太クンがタッチパネルをぴょこぴょこ操作する。その間、ぼんやりレーンを眺めていると、

「あ、耕太クンすまん、そこのエビ取ってくれへん?」

流れてきたエビに目が留まった。

「了解です!」

耕太クンは流れるような手付きでエビを取ってくれた。これこれ、甘エビより蒸しエビのが好きなんよなぁ。あー美味っ。

「耕太くんは本当にお皿を取るのが上手だねぇ。僕もやってみようかな」

そう言うとファービーは流れてきた真鯛(これも一貫……!)に手を伸ばした。しかし。

ガチッ!ガタガタ!ガッ……ガキッ、ガコンッ!

レーンのギリギリでやっと皿を取ったファービー

「僕にも取れたよ!」

と誇らしげな表情で言った。なんやこの人、可愛いとこあるやん。

「さっすがファービーさんですねぇ!」

耕太クンは素直に称賛している。

「どれ、頂こうかな……うん、お値段以上の味だね。気に入ったよ」

ブルジョワファービーのお口にも合ったようで、ちょっと嬉しい。

そうこうしていると、ガーッとレーンが動く音がして、注文した寿司が運ばれてきた。

「あっ、来ました来ました〜!はい、ファービーさんの!こっちが倫さんですね!」

耕太クンが手早く各々の寿司を配ってくれる。

ふとファービーを見ると、ビックリした顔でレーンを見ていた。

ファービー?」

「あぁ、いや……こうやって届くとは思わなくて……ちょっと驚いてしまったよ」

初めての回転寿司に新鮮に驚くファービー、やはりちょっと可愛い。

「あはは、確かに最初に来たときは僕もビックリしちゃいましたよぉ、もぐもぐ」

ハンバーグ寿司を頬張りながらフォローする耕太クン。どうやら、いつも完璧なファービーに何かを教えてあげられることが嬉しいらしい。コイツも可愛いなぁ。

「次は何を食べようかな……おや!お寿司屋さんなのにラーメンやうどんがあるのかい!」

「あー、せやせや。結構美味いらしいで、俺は食べたことあらへんけど」

だって寿司屋に来たら寿司で腹いっぱいになりたいやん。

「僕も食べたことないですねぇ」

「ふぅん……食べてみようかな」

「え……ええんか!?せっかく寿司食いに来たのに麺で腹満たしてもうて……」

「だって、ここでしか食べられないんだろう?それに、蕎麦屋のカツ丼や牛丼屋のカレーだって美味しいと聞くからね。寿司屋のラーメンがどんなものか……確かめてみたくなったよ」

バチコンと音がしそうなウインクを飛ばしてくるファービー

「た、確かに……僕も気になってきました!」

「そう言われたら俺も……」

「じゃあ3人でそれぞれ違うものを頼んで、食べ比べてみないかい?僕は醤油ラーメンにしよう」

「いいですねぇ!じゃあ僕はうどんにします!」

「ほな俺はこの鶏白湯麺かな」

ぴょぴょぴょとタッチパネルを操作し頼んでくれる耕太クン。

「ついでに僕マヨコーン軍艦頼みますけど、何かいりますか?」

「あ、俺えんがわ頼むわ。ファービーは……て、ええ!?」

ふとファービーの方を見ると、彼の前にはウニ、ぶり、大トロ(全部一貫モノ……!)が並んでいた。

「あ、僕は大丈夫だよ。流れてきたのを取ったからね」

「い、いつの間に取ったん……さっきはあんなガタガタいうとったのに……」

「ああ、さっきので取り方はマスターしたよ」 

お、恐ろしい男や……。

「流石ですねぇ、ファービーさん!」

やはり耕太クンは素直に称賛している。

「おや、いなり寿司とイカ、君達食べるかい?」

「えっ、どうしておいなりさん好きなの知ってるんですか!?」

「確かに俺イカ好きやけど、言うたっけ……?」

「なんとなく分かるんだよ」

そう言ってファービーは両手をレーンに伸ばすと、目にも止まらぬ速さでロックを外し皿を取ってくれた。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうな……」

「いただきます!」

今更やけどファービーって何者なんやろなぁ……。

ファービーの正体に思いを馳せながらイカを咀嚼していると、またレーンが動き丼が三つ運ばれてきた。

「あっ、来ましたねぇ!ワクワクです!」

「魚介出汁の良い香りだね、これは美味しそうだ」

耕太クンがそっとレーンから丼を下ろしてくれる。

蓋を取ってみると、ふわりと白い湯気が立ち上った。同時に、出汁の芳しい香りが鼻腔をくすぐる。

「どれ、まずはスープを……」

スープを啜るファービーに習い、俺と耕太クンも丼に口を付ける。

鶏の出汁の中に確かに海鮮の風味を感じる。これは美味い。続いて麺を一口。細麺がスープとよく絡んでこれも美味い。

「うん!とっても美味しいです!」

「これは期待以上の味だよ……美味しいな」

「せやな、今まで食うてなかったんが勿体ないくらいやわ」

「僕のラーメンも食べてみるかい?」

「あっ、食べたいです!うどんもどうぞ!」

「ほな丼順番に回そか」

俺たちは順繰り丼を交換しながらそれぞれの麺を味わった。ラーメンはより魚介の味が効いていて美味いし、うどんも柔らかな出汁の味に太麺が合っていて美味い。結論、全部美味い。

「いやぁ、全部美味しいですねぇ!ビックリしちゃいました」

「本当だね……正直侮っていたよ」

「たまには寿司以外食うのもええなぁ……」

その後も俺達は各々の思うがままに寿司を食った。ファービーはやはり高いモンばっか食っていたし、耕太クンは肉や変わり種の軍艦ばっか食っていた。俺?俺はまぁ、皿に2貫乗っ取って安ければ何でも食うから。

 

「ふぅ……だんだんお腹いっぱいになってきましたねぇ」

「せやな……俺も満足かなぁ」

「おや、君達もう満腹かい?僕はデザートをいただこうかと思っていたのだけれど」

「デザートは別腹です!」

「デザートは別腹や」

俺と耕太クンの声がシンクロした。回転寿司に来てデザートを食わんなんて愚行、犯す訳がない。

「ふぅん……デザートもこんなに種類があるんだねぇ、迷ってしまうよ」

「僕!チョコレートケーキと大学芋食べたいです!」

「俺はシューアイスかな」

一番安いからな。

「即決だねぇ、うーん、じゃあ僕はミルクレープにしようかな」

ファービーの長い指が注文ボタンを押す。

「それにしても……今日は楽しかったよ。この世界には僕の知らないことがまだこんなにあるなんてね」

「大袈裟やなぁ。そんなん言うたら俺なんて何も知らんよ」

「でも、初めてのことってワクワクするし、いっぱいそのワクワクを味わえるのっていいことですよね!」

「せやなぁ。今度はファービーに俺らの知らんこと教えてもらうのもええかもな」

「おやおや……何を教えてしまおうかな」

ファービーが悪戯っぽく笑う。甘いマスクのせいなのか、その言葉の奥にある何かになのか、思わずドキリとしてしまう。

「……っ、あっ、来たみたいやで」

丁度いいタイミングでデザートが届いた。例によって耕太クンがささっと皿を取ってくれる。

「大学芋美味しいんですよ〜、良かったらどうぞ!」

フォークを配りながら耕太クンが言う。

「ほな遠慮なく……えっ、美味っ!初めて食うたけどほんまに美味いなコレ」

「本当だ……蜜もたっぷりで程よい甘さだね」

「そうでしょうそうでしょう!」

好きなものを褒められて嬉しそうな耕太クン。やっぱり可愛ええなぁコイツ。

シューアイスは安定の美味さだ。給食のデザートで出たのを思い出してノスタルジックな気分になる。と、いうのを言ってみたところ

「僕の小学校ではそんなハイカラなデザート出たことないです」

「給食……っていうのを経験したことがなくてね」

全く共感を得られなかった。なんでや。

デザートを食べ終えた俺たちは皿をまとめ、テーブルを片した。

「さて、お腹も満たされたことだし、そろそろ行こうか」

「待ってくださいファービーさん!」

耕太クンが今日イチの大声を出した。

「まだ一番のお楽しみが残ってます……!それがこれ!びっくらポンです!」

耕太クンが皿の投入口をビシッと指差す。

きょとんとしているファービー

「びっくら……ぽん?」

「そうです!お皿をここに入れるとゲームが始まって、当たると景品がもらえるんです!」

「へぇ……そんな仕組みがあるのかい、面白いね」

「さっそくお皿を入れてみましょう!」

ガコガコと皿を投入する耕太クン。5枚放り込んだところでタッチパネルの画面が切り替わり、ゲームが始まった。

「へぇ、これは何か操作するのかい?」

「いえ!祈るだけです!」

いやまぁそうなんやけど。耕太クンをみるとちゃんと手を合わせて祈っていた。そこまでするか?

「あぁ……外れちゃいました……」

「なるほど、本当に祈るだけなんだね。じゃあ僕もちゃんとやろう」

そう言うとファービーは皿を5枚入れ、手を合わせて祈る体勢に入った。いやアンタもやるんかい!

「また外れだね」

「なかなか当たりませんね……倫さんちゃんと祈ってました?」

白い目を向けてくる耕太クン。俺を巻き込まんでくれんかな。

「今度は倫さんどうぞ!ちゃんとお祈りしてくださいね!僕らもやりますから!」

そう言われ、俺は渋々皿を入れて手を合わせた。

するとどうしたことか、画面にはでかでかと『あたり』の文字が表示された。そして頭上からカコンという音がして、カプセルが転がってきた気配がした。

「やったぁ!祈りが通じました!」

「おや、信じる者は救われるというわけだね」

「えっ、えええええ!?」

いやいや、偶然やろ!?でも耕太クンはお祈りパワーを信じてまうんやろなぁ……。

「さてさて、何が当たったんでしょう!」

耕太クンがいそいそとカプセルを取り上げ、カパリと開封した……が。

「なんこれ」

出てきたのはアルカイックスマイルを浮かべたシソの葉のストラップだった。どうやら他にもアルカイックスマイルを浮かべたサンチュの葉やクレソンの葉、ルッコラの葉などがあるようだった。

「…………いや何なんこれ!?そもそもなんで葉っぱに顔付けよう思うたんや!しかも謎の微笑み浮かべとるし!しかも葉っぱのチョイスが絶妙にマイナー!ちびっ子区別つかんやろ!」

一息で捲し立て、ぜぇぜぇと肩で息をする俺。

「言いたいこと全部言ってくれてありがとう、倫くん」

「スッキリしました」

何故か二人から真顔でお礼を言われた。

「これ、俺いらんのやけど……どっちかいる?」

黙り込む二人。

「……いや、僕がもらうよ」

口を開いたのはファービーだった。

「初めての回転寿司の記念にしようと思ってね」

そう言ってバチコンとウインクを飛ばしてくるファービー。俺が女の子やったら間違いなく惚れ取ったで……。

「さてと、お皿も入れ終わったしそろそろ行こか」

「そうですね!あ、すみませんちょっとおトイレに……」

「僕もお手洗いに行ってくるよ」

「おー、いてら」

二人を見送った俺は、ぼけっとスマホをいじっていた。そしてふと、お会計いくらやったかなと伝票を見ようとした、が、伝票が見当たらない。

おかしいなぁ……とテーブルの下などを探していたところに二人が戻ってきた。

「倫さん、どうしたんですか?」

「いやなぁ、伝票が見当たらんねん」

「なんだ、そんなことかい。気にしなくていいから行こうか」

ファービーがそんなことをのたまう。

「いやお会計できんと出られへんやん」

「そうですよぉ、店員さん呼びますか?」

「大丈夫だよ」

ズンズンと歩いていってしまうファービー。彼に続いて入口に戻ると、ありがとうございましたと店員さんに頭を下げられる。あれ、お会計済んでる?え?

そのまま店を出てしまうが、呼び止められることもなく。

少し歩いたところでファービーが振り返って言った。

「無銭飲食成功だね」

悪戯っぽい微笑みを浮かべるファービー。アンタまた……

「ええっ、食い逃げしちゃったんですか!?どうしよう、指名手配されちゃいます!」

真に受けて慌てる耕太クン。

「耕太クン、大丈夫や。ファービーにごちそうさまだけ言うとき」

「あれ、バレてたか」

楽しそうに笑うファービー

「「ごちそうさまでした」」

俺たちはとりあえずお礼を言っておいた。

「お礼を言うのはこっちの方さ。今日はとても楽しい経験をさせてもらったよ」

シソのストラップを見せて微笑むファービー

「楽しかったですか!?なら良かったです!」

「せやな。回転寿司初めてって聞いたときは驚いたけど……満足してもらえたみたいで嬉しいわ」

「じゃあまた3人で来ましょうね!」

「ああ、また来たいね」

「今度は別の店行くのもええな」

俺達は満足げに笑い合う……が、俺にはずっと引っかかっていることがあった。

「やっぱりお寿司は最高ですねぇ!」

「いや耕太クン……今日魚全く食うてないな!?」

ねぇクリスくん、せめて自分の分だけは出してくれないかな

『良い子のみんな〜!こ〜んに〜ちは〜!』

こんにちはー!と元気な子供達の声が響く。

「「こんにちはー!」」

勿論紗音と凪音の声も。

『今日はマッスルパワー☆プリキュアのステージに遊びに来てくれてありがとう!小さいお友達も、大きなお友達もみんな楽しんでいってね〜!』

ステージ上のお姉さんはそう言うと見事なサイドチェストを決めた。パンパンの上腕二頭筋とミニスカートから伸びる逞しい太腿が太陽光を浴びてキラキラ光っている。

「「「わー!!!」」」

子供達も歓声を上げながらサイドチェストを真似ている。勿論双子も。

そして……

「お姉さ〜ん!キレてるキレてる〜!肩にメロンパン乗っけてんのか〜い!」

何故かコータローのテンションも上がっている。

「おいコータローやめろ。恥ずかしいから」

「え〜、クリスくん分かってないなぁ。こういうのは楽しんだモン勝ちだよ?他のおっきいお友達もやってるじゃん」

「一緒にされたくねぇんだよ……!」

「そうですよ猪狩。我々は紗音ちゃんと凪音ちゃんの保護者であって、大きいお友達ではありません」

横からマキオの援護射撃が飛んできた。いいぞ、もっとやれ。

しかし。

「え……マキオお姉様はプリキュアを見たくないのですか?」

急にこちらを振り向いた紗音が悲しそうに言った。

「……っ」

ぐっと黙り込むマキオ。

「……辻堂さん。我々も大きいお友達です。みんなでプリキュアショーを楽しまなければなりません」

パッと笑顔になる紗音。

俺は大きな溜息をついた。

 

今日はGWの真っ只中。俺は弟夫婦から一日だけ双子を預かってほしいと頼まれ、丁度双子が好きなプリキュアのショーをやるということで郊外のショッピングモールに来ていた。そして何故コータローとマキオがいるのかと言えば……

「クリスおじさま……私、久しぶりにマキオお姉様にお会いしたいです」

「ねーねー、コータロちゃんは来ないの?」

双子たっての希望、もといワガママからだった。しかし二人共予定がないからと快く集まってくれた(マキオには最初酒を飲む予定があると断られかけたが紗音の名前を出した途端快諾してくれた、少し腑に落ちない)。

そして昼過ぎの今、俺達は屋外ステージでプリキュアの登場を待っている……という訳だ。

ステージ前に並べられた椅子には子供達とその保護者が座り満席状態。俺達は椅子のすぐ後ろに立ってステージを見ている(俺ら大人は後ろの子たちのためにしゃがんでいるが)。

「紗音、凪音、見辛くねぇか?」

「大丈夫だよ〜、私達同世代の子よりは背高いし」

「もっと小さい子とそのご家族に席は譲らなければなりませんから!」

何とも出来た子達だ。

「うぇ〜、クリスくん足痺れてきた〜。あ゛〜いでででで」

コータローとは大違いだ。

「情けないですよコータロー!日頃の鍛錬が足りないのではなくて?」

「そうですよ、いい大人がギャーギャー騒がないでください」

紗音とマキオに冷たくあしらわれ凹んでいるコータロー。

そうこうしているうちに、舞台上に黒い全身タイツを着たずんぐりむっくりのショッカーみたいな奴らが4人現れた。

『ブーヒッヒッヒ!今日はここにいる子供達を肥満児にしてやるデブ〜!』

4人が声を合わせてブタタタタッと笑う。どうやらプリキュアの敵らしい。にしても何て設定だ。

『たいへ〜ん!ヒマーンが現れたわ!このままじゃみんなが肥満児にされちゃう!』

ムキムキお姉さんがわざとらしく声を上げる。あいつらヒマーンっていうのか……。

『まずはそこにいるお姉さんからぶよぶよの肥満体型にしてやるデブ〜!』

ヒマーン達がお姉さんにジリジリと詰め寄る。

『キャー!助けて!マッスルパワー☆プリキュア〜!』

お姉さんが叫んだ瞬間、シャラララランとSEが鳴りプリキュアのテーマソングと思しき曲が流れだした。子供達がわっと歓声を上げる。

『やめなさいヒマーン!みんなの筋肉は私達が守る!』

アニメ声の台詞が流れ、ヒマーンの一人が吹き飛ぶ。いよいよ主役の登場か……と思いきや、そこに現れたのはプリキュアではなかった。

「オラ!どけやお前ら!」

「おうおうおう騒ぐなよ〜!」

「死にたくなきゃ大人しくしてな!お嬢ちゃんたち!」

ステージ上から怒声を上げているのは、目出し帽に迷彩服を着た3人の男達。そしてそれぞれの手には拳銃が握られている。

途端、騒然とする一同。一斉に立ち上がり逃げ出そうとする、が。

パァン!

一発の銃声が鳴り響いた。

一瞬にしてその場が凍りつく。ステージを見ると、男の一人の拳銃から煙が上がっていた。その銃口の先には、血を流して倒れているヒマーン。

広場が悲鳴で埋め尽くされた。

そこへもう一度銃声。今度は空に向けて撃ったようだ。その場が水を打ったように静まり返る。

「ほらほら、こうなりたくなきゃ大人しく言うことを聞きな!ガキどもに金目の物持たせて全員ステージに来い!大人はその場から動くなよ!俺達は店内に爆弾も仕掛けてるからなぁ!下手な動きしたら全員纏めてドカンだぜぇ!」

男たちが拳銃をこちらに向けて威圧してくる。

さて、どうするか……。

「……ねぇクリスくん」

猪狩がぼそりと呟く。

「ああ」

「そうですね」

俺の返事にマキオも呼応する。

「あの銃偽物だね」

「あの銃偽物だな」

「あの銃偽物ですね」

3人の声が揃った。

「そうと分かりゃあ、あいつら鎮圧すんのは簡単だが……」

「外に仲間がいる可能性は否めません」

「うーん、どうにかしてここから脱出できればなぁ……」

俺達がコソコソ話している間にも、子供達は続々とステージに集められていく。

「俺らが少し騒いで、その隙にコータローが逃げるとかどうだ?」

「え、僕?まぁ何とかやるけどさ」

「ねぇ、私も行きたい!」

凪音が唐突に声を上げた。

「ええっ、凪音ちゃん!?危ないかもしれないんだよ!?」 

「そうだ、外にも奴らの仲間がいるかもしれないし……」

「だいじょーぶだよ、邪魔にはならないから、ね?」

「そうです!凪音なら大丈夫です!」

紗音が太鼓判を押す。

「コータロー……任せていいか?」

「よし、コータローお兄さんがバッチリ守るからね!」

「じゃあ俺達が一芝居打つか……紗音、マキオ、頼むぜ」

「仕方ありませんね」

「全身全霊で努めます!」

ボソボソと相談していると、やはりその姿が目に付いたのか男の一人がこちらに歩いてきた。

「おい、何話してやがる。さっさとガキをこっちに寄越せ」

そう言いながら銃口を俺に向けてくる。近くで見るとかなり粗雑なオモチャだ。よし……

「やめろ!うちの娘に手を出すな!」

「そうよ!うちのまさこちゃんには指一本触れさせないわ!」

「うわ〜〜〜ん、パパぁ、ママぁ、怖いよ〜!」

俺達迫真の演技である。いや誰だよまさこって。

「うるせぇ!さっさとしろ!」

男は怒鳴るばかりで発砲する気配はない。俺は男に向かって殴り掛かるフリをした。男は案の定俺の顔面にカウンターを決めてきた。いや、決めさせてやったと言うべきか。俺は大袈裟に倒れ、気絶したフリをした。

「あなた!あ、あぁ、お願いですからこの子の命だけは……」

マキオは泣きながらまさこ……もとい紗音を男に差し出した、ようだ。

「パパ〜!ママ〜!」

紗音の声が遠ざかっていく。作戦通り事は進んだようだ。後は頼むぜ……コータロー、凪音。

 

クリスくん達が騒ぎを起こしている隙に、僕と凪音ちゃんはこっそりと建物内に戻ってきた。店内の人々は屋外ステージでの騒動に気付いていないようだった。まぁショーの一環と思われても仕方ないか。

それにしても……

「クリスくんもマキオちゃんも……演技下手過ぎでしょ」

「紗音が一番上手だったね」

「あれでよく騙されてくれたよね」

「ね〜」

僕らは顔を見合わせてクスクス笑った。

いかんいかん、こんな話をしてる場合じゃない。

「さてと……まず何からしていいものか」

「お店の人に知らせる?」

「いや、内密に動いた方が良さそうかな……。下手に騒ぎを大きくして野次馬が集まったらクリスくん達が動きにくくなる可能性がある。それに、店員に内通者がいないとも限らないし……」

「なるほどね……じゃあまずは警察に通報するのがいいのかな」

「そうだね」

僕はスマホを取り出し、警察に通報した。後でイジられんのヤダから匿名にしたけど、どうせ電話番号でバレるんだろうなぁ……。

「おっけー、これでバッチリ」

「あと、爆弾があるとか言ってたけど、あれ……」

「まぁ、ハッタリだろうね」

「だよねぇ」

「そもそもこのだだっ広いショッピングモール全部爆破するなんて相当な量の爆薬がいる……あんなオモチャの拳銃使ってるような奴らが用意できるとは思えない。屋外ステージだけ爆破したところで意味がないし、奴らが巻き込まれるだけだ」

「それに、爆発の混乱で逃げにくくなる可能性もあるしねぇ」

「さすが凪音ちゃん。だから、そっちは心配しなくていいだろうね」

「うん、でも内通者は確実にいるよね」

「うーん、でも、人数は少ないんじゃないかな……何せやってることがコスいからね、内通者がいっぱいいるならもっと大掛かりな事を仕掛けてると思う」

「確かに……じゃあ内通者の仕事は犯人が逃げる手伝いをするくらいなのかな」

「だとしたら、この近くで様子を見ているはず……」

僕らは辺りを見回す。

「あ!コータロちゃんあの人!」

凪音ちゃんが僕の袖を引っ張る。彼女が指差した先には、柱の陰から屋外ステージを見つめる男性店員の姿があった。

「怪しいね……よし、行ってみよっか」

僕らは男性店員の元に歩み寄った。明らかに外で何が起きているか分かってるはずなのに傍観してるだけ、やはり怪しい。

「あの〜、すみません」

僕は笑顔を浮かべて彼に話しかける。男はびくりと肩を震わせてこちらを振り返った。

「おもちゃ売り場ってどこですかね〜?」

「えっ、おもちゃ売り場、ですか?ええっと……」

明らかに動揺している男。

「店員さん、名札反対だよ?」

「えっ」

凪音ちゃんの言葉に反応して男が名札に目をやる。僕はその隙を見逃さず、男に迫ると右腕を取り背中に回して自由を奪った。

「いでっ……!」

「静かにしてね。君、外の奴らの仲間だよね?ちょっとお話聞きたいなぁ」

「わ、分かった……話す、話すから腕いでででで」

僕は拘束をすこしだけ緩めてやった。すると男は聞いてもないのにベラベラと話し始めた。

どうも奴らは大型窃盗団の一味であること、そしてこの男もその一人であること。

プリキュアショーを装ってショッピングモールに話を持ちかけたこと。

屋外ステージの人達から金品を奪った後は第2通用口から逃げる計画であること。

店内の内通者は自分一人であること。

「つまり、ステージにいた全員グルってことかぁ」

クリスくんとマキオちゃん二人であの人数……まぁイケなくはないか。にしても、手の込んだ事してる割にリターン少なすぎない?

「と、ともかく話したんだからもう解放してくれ!計画は中止して今すぐトンズラするから!」

「そうは問屋が卸さないよ〜。君にはまだしてもらうことがあるからね」

「な、何だよ……」

「放送室に案内してもらおうかな」

とりあえず状況をクリスくん達に伝えないとね。

「だけど、そのまま言ったら奴らにも分かっちゃうし、どうしたもんかなぁ」

「あ、それなら私に任せてよ〜」

凪音ちゃんが楽しそうに言う。

「お、何か策があるんだね?」

「うん、マキオさんなら気付いてくれるはずだよ」

「よし、じゃあ凪音ちゃんにお任せだ!」

僕らは男に案内させ放送室に向かった。

 

「あなた!しっかりして!あなたー」

マキオはまだ迫真の演技を続けてくれている。

俺は目を閉じたまま、考えを巡らせていた。

コータローたちが脱出したから、警察への通報はとうに出来ているはずだ。だからこのまま何もしなくてもいいっちゃいいが、殴られた分やり返さねぇと腹の虫が治まらねぇ。コータローのことだからそんなのを見越して何か手を打ってくれるはずだが、どういう手段で何をしてくれるかが読めない。

そもそも敵は何人いるんだ。拳銃がオモチャであることから、撃たれたヒマーン役の奴はグルだとして、他のヒマーン共もそうなのか。敵の人数によって立ち回りも変わってくるからそこが知りたい。あとは店内の内通者がどれだけいるのか。おそらくやってることの規模からしてそんなにはいないはずだ。こっちはコータローに任せちまっていいかもな。爆弾もどうせハッタリだろうし。

「マキオ、今どうなってる」

俺はマキオに小声で問いかけた。

「犯人たちがステージ上に集めた子供達から金品を回収しています。一人はこちらに銃を向けていて、二人で行っていますね。ヒマーンとお姉さんは隅で震えてます」

「なるほど了解……今突入したらどうなる?」

「おそらくヒマーン達もグルでしょうから、子供達を盾にとられて動けなくなるでしょう」

「だよなぁ……今は機を待つか」

そう言った瞬間、キーーーンと耳をつく音が鳴り響いた。館内放送のようだ。

「とんとん、つーつー、とん、つーつー」

そこから流れてきたのは、なんと凪音の声だった。とんとんつーつー繰り返している。これは……おそらくモールス信号なのだろう。しかし俺には分からねぇ。

「マキオぉ……」

「はいはい……えー、『こっちひとりかくほ、そっちみんなてき、ばくはつしたらごー』ですね」

やはり店内の人数は少なかったか。そしてこちらは全員奴らの仲間と。それが分かっただけでだいぶ動きやすくなった。しかし爆発とは……?爆弾はハッタリのはず……

『ドーーーーーーーン!』

突然放送から爆音が鳴り響いた。俺は跳ね起き辺りを見渡す。しかし爆発音俺の耳に直接は届いていないし煙も見えない。フェイクだ。

しかし奴らの同様を誘うには十分だったようだ。仕掛けてもいねぇ爆弾が爆発したと思ったらそりゃあな。このチャンス、逃すわけには行かない。

「行くぞマキオ!」

「はい、辻堂さん」

俺とマキオはステージに駆け上がると、混乱する男たちの手から拳銃……もといオモチャを叩き落し、地面に組み伏せていった。ヒマーン達も流石に加勢してきたが、一本背負いでノしてやった。

紗音に目をやると、子供達を親御さんの元に誘導していた。流石、出来る子だ。

「マキオ、こっちは片付いた」

「こちらも大丈夫です」

後は警察の到着を待つのみ……と思われたその時。

隅で震えていたムキムキお姉さんがガバっと立ち上がり、ナイフを取り出した。おいおい、アンタもグルだったのかよ……。

「動くな!両手を上げてそこに跪きな!さもないと……こいつの命はないよ!」

そう言うとお姉さんは手近にいた子供を引き寄せた。そしてその子供とは……運が悪いことに紗音だった。紗音の喉元にナイフを突き付けじりじりと後退るお姉さん。いやはや、本当に運が悪ぃな……俺らじゃなく、アンタが。

「……せん」

紗音がぽつりと呟いた。うん?とお姉さんが紗音の方を見た瞬間、

「マップリを冒涜する者は……紗音が許しません!」

紗音の肘鉄がお姉さんの鳩尾にクリーンヒットした。

「ごはぁっ」

思わずよろけるお姉さん。拘束を解かれた紗音はサッと身を翻すとお姉さんに向き直り、そして……

プリキュア!ラブリーパワーフルマックスパーンチ!」

顔面に拳を叩き込んだ。鼻血を出しながら卒倒するお姉さん。おそらく脳震盪を起こしたんだろう。

紗音の元に駆け寄ると、彼女はわっと泣き出してしまった。

「紗音……大丈夫か」

「また……やりすぎてっ……しまいました……っ。怒りに任せて我を忘れるなどっ、師匠に怒られてしまいます……っ」

「大丈夫だ、正当防衛の範囲だよ、多分」

「そうです、大人に人質に取られていたのですから、この程度お咎めなしですよ、多分」

マキオと二人で紗音を慰めていると、ようやく警察が到着した。遅えよ。

今回も運良く顔見知りはいなかったが、こんだけ暴れりゃ署での事情聴取からは逃れられるはずもなく、俺達は最寄りの警察署に向かうことになった。

 

「あ〜、疲れたぁ」

署から出ると開口一番コータローが情けない声を上げた。

「あのオジサン話長いよ、聴取ってするよりされる方がしんどいんだねぇ」

「お前聴取なんかしねぇだろ」

しかし、疲れたのは事実だ。パトカーにはしゃいでいた双子も流石に元気がない。

「紗音、凪音、残念だったな……プリキュア見られなくて」

「はい……でも、悪党を成敗するお手伝いが出来たのはいい経験になりました!」

「そうだねぇ、私もコータロちゃんと捜査ごっこできて楽しかったよ」 

何とも強かな子達だ。

「マキオもせっかく来てくれたのに巻き込んじまってすまなかった」

「そうですね……ビール三杯で手を打ちましょう」

こいつも通常運転だった。

「え、じゃあさ!これからご飯行こうよ!お疲れ様会しよ!僕焼肉食べた〜い!」

「焼肉!いいねいいね!」

「タンパク質補給は大切ですからね!」

焼肉、というワードに双子の目が輝く。

「レモンサワーとタン塩……」

マキオの目も輝く。

かくいう俺もさっきから腹が減って仕方がない。

「っし、パーッと焼肉食いに行くか!コータローの金で」

「えっ、僕の奢りなんて一言も言ってな……」

「「やったー!」」

「……やった」

「ええっ、マキオちゃんまで!?もー……カードの請求大丈夫かなぁ……」

ぶつくさ言っているコータローを尻目に、俺達は意気揚々と歩き出した。

冬の幻

「……でさぁ〜、この前数学ん時に〜……」

机にだらしなく寝そべる豊満な胸が、もといその持ち主が気怠げに話している。内容に全く興味が湧かず適当な相槌を打っていると、「ちょっとクリスくん聞いてる〜?」という非難の声と同時にばるばるっと乳が揺れた。

「おー、聞いてるよー」俺は彼女の顔…の下方20cmの絶景から目を離さずに答える。冬だというのに大胆にボタンを開けたワイシャツの胸元は非常に眼ぷ……目に毒だ。

「全然聞いてないでしょ〜も〜!」子供のように駄々をこねられ、そこで初めて顔を上げた。高校生にしては濃いメイクを施した顔を不満げに歪ませた眼の前の女とは、つい1週間前から付き合い始めたばかりだ。

「クリスくんマジで無愛想だよね〜、つまんな〜い。せっかくイケメンなのに勿体無いんですけど」そう思うなら最初から付き合うなよと思いつつも、デカい胸とそこそこの顔につられて受け入れた自分も似たようなものか、と自嘲の溜息をつく。

「図書館でデケェ声出すなよ…あと俺たちいちおー受験生よ?お勉強しようぜ」

「とか言って教科書開いてすら無いじゃん、ウケる」

そう、今は高3の冬。同級生たちが必死こいて受験勉強に勤しんでいる中、特に志望校も無い俺はこうして勉強するふりを日課としていた。前に座っている彼女も似たようなものらしく、最近は常に俺にベタベタくっついてくる。……可愛いような迷惑なような。

 

それから、彼女がちょっかいを出してくるのをあしらいながら時間を潰していた。もちろん勉強など一切せず。

そして、そろそろ飽きてきたし帰るか、と思い始めた時。突然館内の電気が消え、一瞬にして視界を奪われた。辺りから悲鳴や困惑の声が上がる。

「いやあっ、何、こわぁい」さっきまで向かいに座っていたはずの彼女がいつの間にか俺の背にしがみついていた。

「ただの停電だろ、そんな騒ぐなって。すぐ復旧するだろ」

そう言いながら彼女の二の腕をさする。

しかしながら、一向に電気が点くことはなく、停電についてのアナウンスもない。何かがおかしいという雰囲気が図書館内に充満してきた。

「ねークリスくぅん、これマジのヤバいやつなんじゃない?」

「あぁ……そんな気ぃするわ。出よう、流石に玄関は開くだろ」

俺たちは荷物をまとめ、薄暗い館内を出口に向かって歩き始めた。

他の利用者たちも同じことを考えたのか、ぞろぞろと玄関へ向かっていた。

外の眩しい光が目に入った時、後ろの方からきゃあ、という子供の小さな悲鳴が聞こえてきた。

思わず立ち止まる。

「クリスくん?何してんの早く出よ?」

「あ、あぁ……」

しかし、どうしても子供のことが気に掛かる。ここで放って自分だけ逃げたら絶対に後悔する気がする。

「なぁ、お前だけ外出ろ。俺はちょっと中見てくるから」

「えっ、ちょっと!一人にしないでよ〜!」

「お前なら大丈夫だ、いざとなったら椅子で殴れ!」

そう言い残し、俺は図書館の奥に向かって走り出した。

 

正義感のようなものに突き動かされて走り出したはいいものの、子供の姿はどこにも見当たらなかった。児童書コーナーや絵本コーナーをくまなく探したものの、人の気配はない。

「……もっと奥か」

本棚の間を縫うように走る。そして

「いた……!」図鑑のコーナーの隅にその子はいた。髪の長さからして女の子か。こちらに背を向けてうずくまっている。

「大丈夫か、助けに来た」

そう声をかけると、女の子は顔を上げた。

「お兄さんだれ……?どうして暗くなったの?もうかいじゅういない?」

かいじゅう……?何かの影を見間違えたんだろうか。ともかくここから連れ出さなければ。

「ああ、大丈夫だ。だからここから出よう」

そう言って手を伸ばすと女の子は俺の手を取った。

「これ……」女の子はもう一方の手に持っていた本を見せてきた。『人体解剖図』……なんてもん読んでんだ。

「今は置いていこうな、今度借りようぜ」

女の子は素直に本を棚に戻した。

そして俺たちは出口に向かって歩きだした。

「お兄さん、お名前教えて」

「名前?今いるか?」

「知らない人には付いていくなって言われてるから。でもひじょーじたいなのは分かるから事後でもしょうがないと思って」

なんてマセ……大人びたガキだ。

「……俺は辻堂功利守。」

「ありがとうクリスお兄さん。ほんとはこじんじょーほーだからダメだけど、私の名前も教えてあげるね。私はナナ!伏見ナナだよ」

「……ナナちゃんね、ヨロシクネ」

「お兄さん、なんで図書館暗くなっちゃったか分かる?」

「俺にはわからないなあ」

「あのね、かいじゅうのせいだと思うの」

怪獣……さっきも言ってたな。

「怪獣なんかいないだろ」

「いたの!私見たの!おっきいハサミがあるバルタン星人みたいなやつ!こっちに向かってきたから私は隠れてたんだよ!」

必死に喋るナナを見ていると、本当に怪獣がいるんじゃないか……?という気にすらなってくる。

いやそんなはずは、と頭を振った次の瞬間、本棚が俺たちに向かって倒れてきた。

「危ないっ!」

咄嗟にナナに覆いかぶさる。鈍い痛みが腕と背中に走った。

「クリスお兄さん!?」

「大丈夫だ、ナナちゃんはケガねぇか?」

「だいじょうぶ、どこも痛くないよ……それよりクリスお兄さんが……!」

「俺のことは心配すんな。ちょっと待ってな、すぐどかすから」

痛みに耐えながら棚を立て直していると、どこからかブゥゥゥゥンと耳障りな虫の羽音のような音が聞こえてきた。

「……なんだこの音?」

「クリスお兄さん!来る!かいじゅうが来る!」

え、と思い振り向いた瞬間、そこに“ヤツ”はいた。

両手に大きなハサミを持ち、背中に大きな羽を持った巨大なザリガニのような怪物……。あまりに醜悪なその姿に俺は一瞬目眩を覚えた。

しかし、すぐにナナの存在を思い出し、拳を強く握り両足を踏ん張り、臨戦態勢をとった。

「クリスお兄さん!戦うなんて無茶だよ!もうダメだよ……」

「やってみなきゃわかんねぇだろ……!絶対にお前とここから出てやるからな!」

叫ぶやいなや、俺は怪物に殴りかかった。ゴンッと鈍い音がして俺の拳は命中した。しかし金属を殴ったかのような手応えで、相手も全くダメージを受けた様子はない。

「クソッ……ガハッ!?」

後ずさった一瞬の隙にハサミで体を殴打される。

吹き飛ばされ床に体をひどく打ち付けた。

「クリスお兄さんっ!」ナナが駆け寄ってくる。

「下がってろ!」

俺は再び立ち上がり、今度は奴の胴体めがけて回し蹴りをブチ込む。

「……ッ!」

相手は少しよろめいたものの、やはり手応えはない。そして再度俺に向かってハサミを振り下ろした。すんでのところで直撃は免れたものの、ハサミの先が顔を掠め血が噴き出した。

「お兄さんっ!もうやめよう!」

ナナが悲鳴をあげる。

「心配すんな!お前のことは絶対に俺が守る!」

叫ぶと同時に怪物へ飛びかかる。しかし俺の突進は虚しくも躱され、頭部をハサミでブン殴られた。

「っく、うぁぁ……」情けないうめき声が口をついて出た。視界がグラグラする。

そのままナナの元へ後ずさり、彼女に覆いかぶさるようにして俺は倒れた。

「お兄さん、クリスお兄さん!しっかりして!」

必死に俺の傷口を拭うナナ。

もう立つこともできない俺たちのもとへ、ギシギシと音を立てながら影が近づいてくるのを、遠くなる視界の端に捉えた。

「ごめん、な……ナナちゃん……守れなくて……」

そうして俺は意識を手放そうとした、次の瞬間。

「よくやったよ、あとはあたしらに任せな!」

どこからか女の声がした、ような、気がした。

 

目を覚ますと、そこは車の中だった。

俺は後部座席に無理矢理寝かされていた。顔の怪我や打撲傷などは手当てされているようだ。

「目を覚ましたかい」真上から女性の声が聞こえた。それは、気を失う寸前に聞いたような気がしたものと同じだった。

「ナイスファイトだったよ、少年」

声の主は、俺を真上から見下ろしながらそう言った。

え、真上から?

そして俺は頭の下にある温かくて柔らかいものの存在に気付いた。

「ひっ、膝枕!?」

驚いて飛び起きようとするも、物凄い力で押さえつけられる。

「おいおい、怪我人なんだから暴れちゃダメじゃないか」

ニコニコと笑いながら尚も力強く俺を押さえてくる女。俺は大人しく膝枕されていることにした。

「あたしは馬車道仁篠。警察関係者だよ。君はクリスくんだね?ナナちゃんから聞いたよ」

「ナナ!あいつは無事なんですか!?」

「ああ、君のおかげで傷一つ付いてなかったよ。もう親御さんと帰っていったよ」

「そ、そうか……良かった……」

「それにしても、あんな化け物と生身でやりあって女の子を守るなんて、君、なかなか見どころあるね」

「え、いや、でもこんなやられてますし、ダセーだけッス……」

「そんなことはないさ。君は磨けば光ると思うんだよねぇ。だからさ」

そういうと馬車道さんは一枚の名刺を取り出した。

「高校卒業したらウチにおいでよ。いっぱい鍛えてあ・げ・る」

そういって渡された名刺には、彼女の名前と電話番号、そして《公安超特殊任務請負係》と手書きの文字が並んでいた。

「何スかこの胡散臭い組織……」

「名前がない組織だから私が勝手に付けた。格好いいだろう?」

「はぁ……」

「連絡待ってるよ、クリス少年。さて!このまま家まで送っていってあげようじゃないか!」

そう言うと馬車道さんは運転席に乗り移り車を発進させた。俺は、何か忘れているような気がしたが、そのまま送ってもらい無事帰宅した。

 

後日、置いて帰ってしまった彼女からはこっぴどくフラれた。

However

女の悲鳴が聞こえた。深夜2時の繁華街だ、どうせくだらない痴話喧嘩か、酔っぱらいが騒いでるだけか、少なくとも今までの経験上はそのどちらかだった。しかし警官の制服を纏っている以上、シカトするわけにもいかない。俺はまだ長い煙草を灰皿に投げ入れ、声のした方へ向かった。

 

再び女の悲鳴。しかも今度は明確に助けを求める声だった。余計めんどくせえ、と思いつつも俺は足を早める。路地をいくつか通り過ぎたところで、角から飛び出してきた女性と目が合った。俺の制服を見た彼女は、縋るようにこちらへ駆け寄ってきた。

「た、助けてくだ…さい…」息を切らしながらそう言うと、彼女はその場にへたり込んでしまう。

周囲の様子を伺うも、気配も足音もない。どうやら撒いていたようだ。

「もう大丈夫みたいですよ」

そう声を掛けると、彼女はこちらを見上げて

「あ……ありがとうございます……私、襲われて……」

と息を整えながら話した。ショートカットの似合う、快活そうな女性だ。ただ、今は汗と涙で顔がグチャグチャになってしまっている。

「一旦、交番まで行きましょうか、そこでゆっくりお話伺いますから。ちょっとお茶でも飲んで落ち着きましょう。立てます?」

「は、はい……大丈夫です」

そう言って彼女は立ち上がり、俺達は交番へ向かって歩き出した。

 

 

交番に着くまでの間に、ざっと状況を尋ねた。彼女の名前は小平美園。聞けば小平は、恐ろしい化物に襲われていたという。

「……酒飲んでる?」

「飲んでません!本当に、おっきいザリガニみたいな化物だったんです!信じてもらえないでしょうけど……」

そりゃあ信じられるわけが…………

「……」

「お巡りさん?」

「信じてない、わけでもない……」

「え、ほ、本当ですか!」

「ただ調書には書けねぇし、適当に誤魔化すからな」

「そういうこと言っていいんですか」

「オフレコでね」

「フフッ、面白いお巡りさんもいるんですね」

 

話しながら交番の近くまで来ると、ガタイのいい男が一人中を伺っているのが見えた。

どうかしましたか、と声を掛けるよりも早く小平が男の方へかけ寄っていった。

「ユウゴ!」

「美園……どこ行ってたんだよ」

「ごめん、私……」

さっきまでの雰囲気はどこへやら、おどおどしだす小平。

男が俺を一瞥する。

「アイツの次はあの警官か?」

「何言ってんの!そんなわけないじゃない!まだそんなこと言うの!?」

次第に二人の声量が大きくなってきた。痴話喧嘩なら他所でやってほしいと思い始めた時、埒が明かないと思ったのか男が深い溜め息をついた。

「もういい……疲れたから帰るぞ」

そして男はこちらへ向き直ると

「お巡りサン、迷惑かけてすんません。こいつ保護してくれてあざした」

そう言い残し、小平の腕を引いて去っていった。

「おい、まだ調書……もういいか」

どっと疲れた俺は新しい煙草に火を点けた。

 

 

それから一週間程経ったある日、俺はライブハウスの警備に駆り出された。“ばぁさん”直々の指令である。なんでも、とある"やんごとなき御方"がライブに出演するとのことで、警護に人手がいるんだそうだ。何だって俺に、だいたい現代日本で"やんごとなき"とか聞いたことねえよ、等言いたいことは沢山あったが、ばぁさんの「何事も経験さ。それに、いいツテができるかもよ?私の顔を立てると思って行ってきな」の言葉におされて、何も言えずに承諾してしまった。とはいえ、特に何をするでもなく立っているだけなので暇を持て余していた。煙草でも吸いに行くか、と振り返った時演者の一人と目があった……瞬間、俺は震え上がるほどの殺気を感じた。絶対にただのバンドマンではない、殺し屋かのような気配にたじろぐと、その男はこちらへ近寄ってきた。

「ふぅん……君やるじゃん。お馬さんとこの子かな?よろしく言っといて」

そう言い残し、男は去っていった。

「ツテ、ね……」俺は苦笑しながら喫煙所に向かった。

 

喫煙所に行くと演者らしき男が一人、煙草を吸っていた。

「……ッス」会釈をしながら煙草に火を点けると、男が顔を上げた。

「あっす……て、こないだの」

男が驚いたような声を上げた。こちらもよくよく顔を見てみると、そいつは先日小平を連れ帰った奴だった。

「この前はお騒がせしてすんませんっした……」

「いや全然。っていうか、バンドマンだったのか」

「ハイ。『揺リ籠カラ墓場マデ』ってバンドでドラムやってます、踠……ってのは芸名で拝島憂護っていいます」

「ドラマーか、それでそんなガタイいいわけね……あー、俺は辻堂功利守、ご存知の通り警官です」

「あっ、どうも……」

しばらく無言で煙草を吸う。2本目に火を点けた時、拝島が口を開いた。

「実はこの前、美園に浮気されて、それ問い詰めてたら泣いて逃げ出されて、探してたとこだったんス」

小平が浮気。そんなことしそうには見えなかったが、人は見かけによらないということか。

「はぁ、お前らも大変だったんだな」

「それも浮気の相手がウチのボーカルで」

「最悪だな」

「最悪なんスよ、あの野郎……メンバーの彼女にすぐ手ェ出しやがって、ギターの避なんか2回もやられてますからね」

拝島は苛立ちを露わにしながら煙草を乱暴に消した。

「気をつけろよって言ったのに美園のヤツ、ホイホイ家までついて行きやがって……」

ガチガチとライターを鳴らして新しい煙草に火を点ける拝島。

「あー……それはお気の毒にっつーか、ムカつくな……」

「なのに美園は浮気なんかしてないの一点張りで……素直に謝ってくれたら許したんですけどね……まだ喧嘩中ッス」

そう言って拝島は悲しそうに笑い、

「変な話してすんませんっした!お仕事お疲れ様ッス」

と言い残し、煙草の火を消して喫煙所を出ていった。

「難しいねェ……」

俺は3本目の煙草に火を点けた。

 

夕方になり、少し肌寒さを感じるようになった頃。俺は再び喫煙所に向かっていた。ライブは既に始まっているようで、音漏れが微かに届いていた。会場の入口の前を通りかかった時、

「あっ!」と女性の声がした。

振り返ると、小平美園がそこに立っていた。

「この間のお巡りさん……ですよね?」

「あぁ、小平さん。お久しぶりです」

「先日はお騒がせしてすみませんでした」

「それ、さっき彼からも聞きました」

「憂護と話したんですか?……あの、ちょっと今お話できますか?」

「喫煙所で良ければ」

「はい、ご一緒させてください」

そうして俺たちは喫煙所へ向かった。

 

「一本いります?」

そう小平に問いかけると、じゃあ一本だけ、と煙草を手に取った。

「普段は吸わないんですけどね」と言いつつも、慣れた手付きで火を点ける。きっといつも拝島にやっているのだろう。

「憂護、私のこと何か言ってました?浮気女だとか……」

「あぁ、バンドのボーカルと浮気したとか聞きましたよ。あなたが認めないから喧嘩中とか」

「浮気なんてしてません!」

食い気味に小平は言った。

「ボーカルの愛くんとは、本当に何もないんです。確かに誘われたけど断ったし、家に行ったのは風邪引いたって言うからゼリーとか持って行っただけだし、その時も連れ込まれそうになったけど逃げてきたし……」

早口でまくし立てる小平。つーかボーカル、クソすぎだろ。

「それ、ちゃんと拝島さんには説明したんですか?」

2本目の煙草に火を点けながら問う。

「しました、何回も……でも全然信じてくれなくて……」

確かに、間近で愛くんとやらの悪行を見てきた彼からすると、にわかには信じがたいのかもしれない。

小平は煙草の火を消すと言った。

「だからもう、別れようかなって。こんなに信じてくれないなんて思わなかったから、疲れちゃった」

「えっ……小平さんはそれでいいんですか?」

「うーん……憂護のことは好きだし、そばにいたいと思うけど、やっぱり一回でも別れようって思ったらもう終わりかなって……」

「そんなもんですか……」

「そんなもんです」彼女は切なそうに笑った。

「変な話しちゃってごめんなさい!私、そろそろ中入りますね」

そう言うと小平は喫煙所を出ていった。

「難しいねェ……」

俺は3本目の煙草に火を点けた。

 

ライブの終演の時間を迎えた。客たちがぞろぞろと出ていき、機材の撤収作業が始まった。例の殺気を纏った男も機材車に荷物を運んでおり、こちらに気付くとウインクを飛ばしてきた。

そんな中、ふと遠くに小平の姿を見かけた。どうやら拝島を待っているようだ。この後別れ話を持ちかけるのだろうか、等とぼんやり考えていると、刹那、悲鳴と共に小平が姿を消した。

なんだなんだと人々が辺りを見回す中、

「美園!?」拝島が声のした方向へ走り出した。

慌てて俺も後を追うが、既に小平の姿は無かった。

「クソッ、どこだ!?」拝島が険しい表情で呟く。

「拝島さん、手分けしよう。俺は右から行くからアンタは左を頼む」

そう声をかけると、拝島は分かったと叫び駆け出していった。

「しかし、手掛かりもないんじゃなぁ……」

そう独りごちるが考えている暇はない。俺も夜の街へ走り出した。

 

案の定、小平の姿はどこにもなかった。一旦元の場所へ戻るかと踵を返した時、遠くから怒号が聞こえてきた。拝島の声だ。すぐさま俺は声のした方向へ走る。声が徐々に大きくなる。近い。

そして角を曲がったところに彼らはいた。

そこには、息があがり体中に傷を負った拝島とへたり込んで泣いている小平の姿があった。

「大丈夫か!?」

駆け寄ると、拝島の体がぐらりと揺れた。慌てて支えると「悪い……」と返ってきた。

「あの、私、こないだの化物に襲われて……」美園が涙混じりの声で言った。

「こないだ?って前にもあいつに襲われたのか!?なんで言わねえんだよ!?」

拝島が声を荒げる。

「お巡りさんにあった日のことだよ!あの日の憂護、私の話何も聞いてくれなかったじゃん!」

「それは……悪かった」

「いっつもそう!私の話信じてくれなくて自分のことばっかり!もう嫌だ!」

そう言うと小平はボロボロと泣き出した。

「美園……」

拝島は俺から離れると、そっと小平を抱きしめた。

「ごめん、悪かった。お前の話全然聞かなくて。今度はちゃんと話そう」

「憂護……私、浮気なんかしてない。」

「……うん」

「愛くんに誘われたけど断った」

「うん」

「助けてくれてありがとう……すごく怖かった」

「ああ、美園が無事でよかった」

「憂護……」

しっかりと抱きしめ合う二人。

これ以上ここにいるのも野暮ってもんだ、俺は煙草に火を点けると、二人に背を向けてライブハウスへ戻った。

 

「いやぁ、この間はお疲れ様。助かったよぉ。それで、何かいい出会いはあったかな?」

数日後、交番勤務に戻った俺のもとへばぁさんから電話があった。

「いい出会いって……クソほど殺気飛ばしてきた野郎ならいたけどよ」

「あぁ、それは竜さんトコの臨ちゃんだね。彼もなかなかいい腕してるんだよ。やるじゃん少年」

「あんな危ねえ奴に目ェつけられてたまるか。用はそれだけですか?切りますよ仕事中なんでェ」

「つれないねぇ。また何かあったら頼むよ」

向こうがそう言い終わるのを待たずに終話する。

まったく食えないばぁさんだ、などと思っているとそこへ、 

「あ、いたいた」

小平美園がやってきた。

「ああ、小平さん」

「この前はありがとうございました」

「いや、俺は何も……拝島さんとは仲直りできたんですか?」

「うん……だけど、やっぱりちょっと距離をおこうってなって」

「え?」

「って言っても、彼がツアーに行く間だけだし、多分連絡はとると思うんですけど」

「そうですか……」

「完全に私のワガママなんですけどね、彼はすごく嫌がってたし。でも、“そんなもん”なんですよ」

小平は苦笑しながら言った。

「でもね、この間の件で憂護のこと、改めて大好きだなって思ったから、ツアーから帰ってきたらちゃんと言うつもりです。もう一回やり直そうって」

「そっか、今度は絶対うまくいきますよ」

「ありがとうございます……!あっ、すみませんこんな話するためだけに来ちゃって!でも、お巡りさんには色々話聞いてもらったし、伝えたいなって思って……」

「いや、変な話俺も安心したんで。応援してますよ」

ありがとうございます、と言って小平は帰っていった。

俺は煙草に火を点けて呟いた。

「難しいね」