花忍本店

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However

女の悲鳴が聞こえた。深夜2時の繁華街だ、どうせくだらない痴話喧嘩か、酔っぱらいが騒いでるだけか、少なくとも今までの経験上はそのどちらかだった。しかし警官の制服を纏っている以上、シカトするわけにもいかない。俺はまだ長い煙草を灰皿に投げ入れ、声のした方へ向かった。

 

再び女の悲鳴。しかも今度は明確に助けを求める声だった。余計めんどくせえ、と思いつつも俺は足を早める。路地をいくつか通り過ぎたところで、角から飛び出してきた女性と目が合った。俺の制服を見た彼女は、縋るようにこちらへ駆け寄ってきた。

「た、助けてくだ…さい…」息を切らしながらそう言うと、彼女はその場にへたり込んでしまう。

周囲の様子を伺うも、気配も足音もない。どうやら撒いていたようだ。

「もう大丈夫みたいですよ」

そう声を掛けると、彼女はこちらを見上げて

「あ……ありがとうございます……私、襲われて……」

と息を整えながら話した。ショートカットの似合う、快活そうな女性だ。ただ、今は汗と涙で顔がグチャグチャになってしまっている。

「一旦、交番まで行きましょうか、そこでゆっくりお話伺いますから。ちょっとお茶でも飲んで落ち着きましょう。立てます?」

「は、はい……大丈夫です」

そう言って彼女は立ち上がり、俺達は交番へ向かって歩き出した。

 

 

交番に着くまでの間に、ざっと状況を尋ねた。彼女の名前は小平美園。聞けば小平は、恐ろしい化物に襲われていたという。

「……酒飲んでる?」

「飲んでません!本当に、おっきいザリガニみたいな化物だったんです!信じてもらえないでしょうけど……」

そりゃあ信じられるわけが…………

「……」

「お巡りさん?」

「信じてない、わけでもない……」

「え、ほ、本当ですか!」

「ただ調書には書けねぇし、適当に誤魔化すからな」

「そういうこと言っていいんですか」

「オフレコでね」

「フフッ、面白いお巡りさんもいるんですね」

 

話しながら交番の近くまで来ると、ガタイのいい男が一人中を伺っているのが見えた。

どうかしましたか、と声を掛けるよりも早く小平が男の方へかけ寄っていった。

「ユウゴ!」

「美園……どこ行ってたんだよ」

「ごめん、私……」

さっきまでの雰囲気はどこへやら、おどおどしだす小平。

男が俺を一瞥する。

「アイツの次はあの警官か?」

「何言ってんの!そんなわけないじゃない!まだそんなこと言うの!?」

次第に二人の声量が大きくなってきた。痴話喧嘩なら他所でやってほしいと思い始めた時、埒が明かないと思ったのか男が深い溜め息をついた。

「もういい……疲れたから帰るぞ」

そして男はこちらへ向き直ると

「お巡りサン、迷惑かけてすんません。こいつ保護してくれてあざした」

そう言い残し、小平の腕を引いて去っていった。

「おい、まだ調書……もういいか」

どっと疲れた俺は新しい煙草に火を点けた。

 

 

それから一週間程経ったある日、俺はライブハウスの警備に駆り出された。“ばぁさん”直々の指令である。なんでも、とある"やんごとなき御方"がライブに出演するとのことで、警護に人手がいるんだそうだ。何だって俺に、だいたい現代日本で"やんごとなき"とか聞いたことねえよ、等言いたいことは沢山あったが、ばぁさんの「何事も経験さ。それに、いいツテができるかもよ?私の顔を立てると思って行ってきな」の言葉におされて、何も言えずに承諾してしまった。とはいえ、特に何をするでもなく立っているだけなので暇を持て余していた。煙草でも吸いに行くか、と振り返った時演者の一人と目があった……瞬間、俺は震え上がるほどの殺気を感じた。絶対にただのバンドマンではない、殺し屋かのような気配にたじろぐと、その男はこちらへ近寄ってきた。

「ふぅん……君やるじゃん。お馬さんとこの子かな?よろしく言っといて」

そう言い残し、男は去っていった。

「ツテ、ね……」俺は苦笑しながら喫煙所に向かった。

 

喫煙所に行くと演者らしき男が一人、煙草を吸っていた。

「……ッス」会釈をしながら煙草に火を点けると、男が顔を上げた。

「あっす……て、こないだの」

男が驚いたような声を上げた。こちらもよくよく顔を見てみると、そいつは先日小平を連れ帰った奴だった。

「この前はお騒がせしてすんませんっした……」

「いや全然。っていうか、バンドマンだったのか」

「ハイ。『揺リ籠カラ墓場マデ』ってバンドでドラムやってます、踠……ってのは芸名で拝島憂護っていいます」

「ドラマーか、それでそんなガタイいいわけね……あー、俺は辻堂功利守、ご存知の通り警官です」

「あっ、どうも……」

しばらく無言で煙草を吸う。2本目に火を点けた時、拝島が口を開いた。

「実はこの前、美園に浮気されて、それ問い詰めてたら泣いて逃げ出されて、探してたとこだったんス」

小平が浮気。そんなことしそうには見えなかったが、人は見かけによらないということか。

「はぁ、お前らも大変だったんだな」

「それも浮気の相手がウチのボーカルで」

「最悪だな」

「最悪なんスよ、あの野郎……メンバーの彼女にすぐ手ェ出しやがって、ギターの避なんか2回もやられてますからね」

拝島は苛立ちを露わにしながら煙草を乱暴に消した。

「気をつけろよって言ったのに美園のヤツ、ホイホイ家までついて行きやがって……」

ガチガチとライターを鳴らして新しい煙草に火を点ける拝島。

「あー……それはお気の毒にっつーか、ムカつくな……」

「なのに美園は浮気なんかしてないの一点張りで……素直に謝ってくれたら許したんですけどね……まだ喧嘩中ッス」

そう言って拝島は悲しそうに笑い、

「変な話してすんませんっした!お仕事お疲れ様ッス」

と言い残し、煙草の火を消して喫煙所を出ていった。

「難しいねェ……」

俺は3本目の煙草に火を点けた。

 

夕方になり、少し肌寒さを感じるようになった頃。俺は再び喫煙所に向かっていた。ライブは既に始まっているようで、音漏れが微かに届いていた。会場の入口の前を通りかかった時、

「あっ!」と女性の声がした。

振り返ると、小平美園がそこに立っていた。

「この間のお巡りさん……ですよね?」

「あぁ、小平さん。お久しぶりです」

「先日はお騒がせしてすみませんでした」

「それ、さっき彼からも聞きました」

「憂護と話したんですか?……あの、ちょっと今お話できますか?」

「喫煙所で良ければ」

「はい、ご一緒させてください」

そうして俺たちは喫煙所へ向かった。

 

「一本いります?」

そう小平に問いかけると、じゃあ一本だけ、と煙草を手に取った。

「普段は吸わないんですけどね」と言いつつも、慣れた手付きで火を点ける。きっといつも拝島にやっているのだろう。

「憂護、私のこと何か言ってました?浮気女だとか……」

「あぁ、バンドのボーカルと浮気したとか聞きましたよ。あなたが認めないから喧嘩中とか」

「浮気なんてしてません!」

食い気味に小平は言った。

「ボーカルの愛くんとは、本当に何もないんです。確かに誘われたけど断ったし、家に行ったのは風邪引いたって言うからゼリーとか持って行っただけだし、その時も連れ込まれそうになったけど逃げてきたし……」

早口でまくし立てる小平。つーかボーカル、クソすぎだろ。

「それ、ちゃんと拝島さんには説明したんですか?」

2本目の煙草に火を点けながら問う。

「しました、何回も……でも全然信じてくれなくて……」

確かに、間近で愛くんとやらの悪行を見てきた彼からすると、にわかには信じがたいのかもしれない。

小平は煙草の火を消すと言った。

「だからもう、別れようかなって。こんなに信じてくれないなんて思わなかったから、疲れちゃった」

「えっ……小平さんはそれでいいんですか?」

「うーん……憂護のことは好きだし、そばにいたいと思うけど、やっぱり一回でも別れようって思ったらもう終わりかなって……」

「そんなもんですか……」

「そんなもんです」彼女は切なそうに笑った。

「変な話しちゃってごめんなさい!私、そろそろ中入りますね」

そう言うと小平は喫煙所を出ていった。

「難しいねェ……」

俺は3本目の煙草に火を点けた。

 

ライブの終演の時間を迎えた。客たちがぞろぞろと出ていき、機材の撤収作業が始まった。例の殺気を纏った男も機材車に荷物を運んでおり、こちらに気付くとウインクを飛ばしてきた。

そんな中、ふと遠くに小平の姿を見かけた。どうやら拝島を待っているようだ。この後別れ話を持ちかけるのだろうか、等とぼんやり考えていると、刹那、悲鳴と共に小平が姿を消した。

なんだなんだと人々が辺りを見回す中、

「美園!?」拝島が声のした方向へ走り出した。

慌てて俺も後を追うが、既に小平の姿は無かった。

「クソッ、どこだ!?」拝島が険しい表情で呟く。

「拝島さん、手分けしよう。俺は右から行くからアンタは左を頼む」

そう声をかけると、拝島は分かったと叫び駆け出していった。

「しかし、手掛かりもないんじゃなぁ……」

そう独りごちるが考えている暇はない。俺も夜の街へ走り出した。

 

案の定、小平の姿はどこにもなかった。一旦元の場所へ戻るかと踵を返した時、遠くから怒号が聞こえてきた。拝島の声だ。すぐさま俺は声のした方向へ走る。声が徐々に大きくなる。近い。

そして角を曲がったところに彼らはいた。

そこには、息があがり体中に傷を負った拝島とへたり込んで泣いている小平の姿があった。

「大丈夫か!?」

駆け寄ると、拝島の体がぐらりと揺れた。慌てて支えると「悪い……」と返ってきた。

「あの、私、こないだの化物に襲われて……」美園が涙混じりの声で言った。

「こないだ?って前にもあいつに襲われたのか!?なんで言わねえんだよ!?」

拝島が声を荒げる。

「お巡りさんにあった日のことだよ!あの日の憂護、私の話何も聞いてくれなかったじゃん!」

「それは……悪かった」

「いっつもそう!私の話信じてくれなくて自分のことばっかり!もう嫌だ!」

そう言うと小平はボロボロと泣き出した。

「美園……」

拝島は俺から離れると、そっと小平を抱きしめた。

「ごめん、悪かった。お前の話全然聞かなくて。今度はちゃんと話そう」

「憂護……私、浮気なんかしてない。」

「……うん」

「愛くんに誘われたけど断った」

「うん」

「助けてくれてありがとう……すごく怖かった」

「ああ、美園が無事でよかった」

「憂護……」

しっかりと抱きしめ合う二人。

これ以上ここにいるのも野暮ってもんだ、俺は煙草に火を点けると、二人に背を向けてライブハウスへ戻った。

 

「いやぁ、この間はお疲れ様。助かったよぉ。それで、何かいい出会いはあったかな?」

数日後、交番勤務に戻った俺のもとへばぁさんから電話があった。

「いい出会いって……クソほど殺気飛ばしてきた野郎ならいたけどよ」

「あぁ、それは竜さんトコの臨ちゃんだね。彼もなかなかいい腕してるんだよ。やるじゃん少年」

「あんな危ねえ奴に目ェつけられてたまるか。用はそれだけですか?切りますよ仕事中なんでェ」

「つれないねぇ。また何かあったら頼むよ」

向こうがそう言い終わるのを待たずに終話する。

まったく食えないばぁさんだ、などと思っているとそこへ、 

「あ、いたいた」

小平美園がやってきた。

「ああ、小平さん」

「この前はありがとうございました」

「いや、俺は何も……拝島さんとは仲直りできたんですか?」

「うん……だけど、やっぱりちょっと距離をおこうってなって」

「え?」

「って言っても、彼がツアーに行く間だけだし、多分連絡はとると思うんですけど」

「そうですか……」

「完全に私のワガママなんですけどね、彼はすごく嫌がってたし。でも、“そんなもん”なんですよ」

小平は苦笑しながら言った。

「でもね、この間の件で憂護のこと、改めて大好きだなって思ったから、ツアーから帰ってきたらちゃんと言うつもりです。もう一回やり直そうって」

「そっか、今度は絶対うまくいきますよ」

「ありがとうございます……!あっ、すみませんこんな話するためだけに来ちゃって!でも、お巡りさんには色々話聞いてもらったし、伝えたいなって思って……」

「いや、変な話俺も安心したんで。応援してますよ」

ありがとうございます、と言って小平は帰っていった。

俺は煙草に火を点けて呟いた。

「難しいね」